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オナモミ亭 ~猫柳一番地~

くも膜下から回復中の父のことを綴る場。

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未来日記

綴り場へようこそお越しくださいました。
自宅介護もなかなかいいものです…を伝えたいなァと思っているのに、日々が愉快に流れ
書きかけの記憶のカケラが、どんどんたまっていくだけの場になっております。
よろしかったら、日記の方にお越しくださいませ。⇒日記

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手術直前

あっちフラフラ、こっちフラフラのいい加減なエントリーで申し訳ありません。
今日は≪家族がいつも傍にいる~祖母の教え≫の続き
父が倒れ、わたしが救急病院に到着してからのことを。

当時書いたことを今読むと、自分で相当笑えます。
リアルタイムでアップしていたら「この人阿呆じゃなかろうか」と思われても仕方ないふう。 ぷ。
気分は「かかってこい!怪人くも膜下!」なロンリーライダー。 異常に冷静で、異常に熱い。 ぶほほ。




2009年10月30日、夜

病院への到着は、わたしが最後となった。
泣き虫気味の母が泣いてはおらず、姉家族四人・弟……
がらんとしたロビーに揃って弁当をつついているどの顔にも、ほんのり笑みが浮かんでいた。
それを見て、わたしは激しい希望を持った。 「父は、こっちに帰ってきてくれる」と。
今一瞬より、後ろ向きな言葉は、一切口にすまい。 思うまい。
真打カツオの第一声は、みんなの肩の力を抜くものがよいだろうと思った。
「みんなよく集まれたよねぇ。 よかったなぁ。 こんな事態で久々の全員集合はちょっと切ないけどね。
でも、きっとうまくいくよ。 これはいい兆しだぜ。 腹減った~。」 みんな、笑った。


わたしはトンカツは嫌いなのだが、義兄がトンカツ弁当を買ってきてくれたその気持ちは、よくわかった。
義兄は洒落の利いた人で、げんを担ぐのが好きなのだ。 勝つぞ、ですか。 いいね。
今夜は長丁場になる。 今夜だけではすまないかもしれない。 腹ごしらえとは気が利いている。
腹が減っては戦はできぬ。 これは戦だ。 決死の戦の始まりだ。
怪人くも膜下 VS イソノ家。 必ず、怪人くも膜下に、勝ってやる!


家族は1人ずつ、短時間ではあるが父との面会を済ませていた。「意識のあるうちにどうぞ」と。
脳内ではまだ出血が続いている。 興奮させてはいけないので、1人ずつだった、と。
タッチの差で本格的な準備に入ってしまい、どの先生が執刀するか決めているようだ……とのこと。
意識のあるうちに? そうだ、油断は禁物。 この言葉も、胸に刻み込んでおこう。
さっきまでいてくださったという町の職員さんから聞いた
父がどのように倒れ、どのようにこちらにたどり着いたのかの全てを、家族から聞く。
50代の女性職員さんは、倒れた瞬間にくも膜下だとわかった、とのこと。
冷静で迅速な行動が父を……先輩方の亡くなった状況を思い起こす。 なんとラッキーだったことか。


わたしは広告業界に長く身を置いている。
無茶をするタイプのわたしは、先輩方によく言われた。 「校了前に自分が校了になるなよ」と。
不規則な生活の中、接待もしなければならず、疲れた体で徹夜が続く業界だ。
女のわたしでも年間労働時間は5000時間を越え、それもまた愉しいという謎な業界なのだが
当然、健康でい続けるのは難しいわけで、それでも尚、仕事を愛してしまう自分自身と戦いながら
幾人もの先輩が、机で、外回り先で、移動の新幹線の中で……くも膜下でかえらぬ人となっていた。


「ラッキーはラッキーを呼ぶぞぉ! このラッキーは続くぞぉ! お父さんはタダモンじゃないしな」
わたしが狂喜すると、みんなも笑った。 前向きな気持ちが前に道を開くのだ。 掛け声と笑顔は重要だ。
油断は禁物なのを忘れてはいけないが、嬉しい気持ちをパワーに変えるためにも。
多少は覚悟のあったわたしたちはともかく「祖父ちゃん大好き」な甥と姪は、相当辛い筈。


看護士さんが降りてきて「また面会ができますので、お済みでない方はどうぞ」と告げた。
おしどり夫婦の片割れの母。 さぞかしもう一度会いたいだろう。 わたしは母の顔を見た。
母は「脳に負荷をかけちゃいけないから、1人で行っておいで」と言った。
父のいるICUに行くには、ナースセンターの前を通る。
続々と到着する年配の看護士さんたちが執刀医について話しているのが聞こえた。
「●●先生が一番経験があるのに」「●●先生は夜勤明けでお疲れだから駄目よ」
凄い。 先生も人なり。 いろいろなことをプロが考え、準備は進んでいるのだ。
安心してお任せしよう。 ここに運ばれたのは、ベストでありマストだ。


ICUにいる父に「お父さん」と声をかけると、「おう」といつものように片手を挙げる笑顔があった。
「ふふふ。 なっちまったもんは仕方ないナァ」
「ふふふじゃないよ~。 こっちの心臓が止まっちまうかと思ったよ。 でも、顔見て、安心したよ。」
「ははは。 みんな揃ったかぁ。 じゃあそろそろ帰れるな♪」
「何言ってんだよ~。 これから手術するんだョ。 まだ頭の中で、血が出てるんだって。」
「え? そうなのか? そりゃ不味いなァ。 明日の野菜市、僕しかわからないことがいっぱいあるんだよ。
 手術、明後日にするわけにはいかないかな」
「いかないダロ」
「そおかァ? 聞いてきてくれよ。」
「聞かないでもわかるョ。 叱られるョ。」
「じゃあ今から言うから、メモって、手配してくれよ。 みんな困っちまうから。
 さっきからお母さんもサザエモドキも『そんなことは、いいの!』って(笑) よかないからさ。」
「うん、わかった、任せて。」
笑顔で会話は続いた。 父を不安にさせては、いけない。 父の居場所も、守らなければ。


野菜市とは、地域振興と地産地消の推進のために父たちが始めた町おこしイベントで
昨今流行の『道の駅』のようなことを、月に一度行うものだ。
ニューファミリーも昔ながらの住民も愉しみにしており、1時間で完売することもしょっちゅうだ。
今のご時勢、中年層はやすやすと会社を休むわけにはいかないので
父のようなご隠居さんや、地付きさんの二代目さんを中心に行う……はずだったのだが
商店主が無料宣伝の場として使い始めてしまい、静かな町の騒動の元にもなっている。
「私利私欲の場にしてはイカン!」と雷を落とし、本来の趣旨に沿ってプロデュースするのが父の役目。
ご隠居中のご隠居☆由緒?正しきご意見番である父は、あちこちからのご指名があとを絶たないのだが
いろいろやっている役の中でも、本人も一番愉しみにしていたのが明日の野菜市なのだった。
私利私欲を阻止するために、当日まであえてオープンにしないこと・決めないこと……色々。
そんな匙加減も「ナミヘイさんならでは」で、町内会で重宝されまくってきた所以なのだが
急に倒れるとは、どこのどなたも、本人も家族も、露とも思っていなかったのだった。


「引継ぎ」を終えると、父はとても安心したようで、またよい笑顔を見せてくれた。
「宜しく頼むよ。 それにしても、やっぱりちょっと頭が痛いかもしれないなァ。」
「ちょっとじゃないと思うよ。 我慢しちゃあ駄目だよ。 先生たちにはほんとのこと言ってね。
 それとね、いっぱい話すと、また血が出ちゃうかもしれないんだって。
 あとでまたゆっくり話せるから、目ェ瞑って安静にしててね。」
「めんどくせぇなぁ。 大袈裟なんだよ。 じゃあ後でなァ。」


笑顔で握手。 そして、手を振った。
これが「いつものナミヘイ節」の当面の最期になるとは、この時わたしは、思ってもいなかった。



長い。 長すぎる。 スミマセン(笑)
インフォームドコンセントと術後の父の様子について、また今度公開させてください。

「お父さんが元気になったら、一緒に作ろうね」
11月1日。 病院に行く前に。 父が箒を作るのを愉しみにしていた箒草を仕舞う。


父の闘病とわたしの考察……リアルタイムで公開しなかったものがたくさんりますが
文章としてはまぁまぁまとまっているのに公開しなかった理由は、恐ろしい長文だったことがひとつ。
おいでになった方が読みやすいかどうか考える時間はありませんでした。 ははは。


「言葉に、自分の行動が引っ張られることを恐れた」の方が、大きかったかな。
我が一族は考察やディベートが大好きでして。 論を論ずるのが愉しみなんですね。
ちゃぶ台を囲んで、どうでもいいことから世界情勢まで、あーでもないこーでもない⇒わはは です。
おかしな家族で御座います。 でも、タダで愉しめて、なかなか愉しい遊びなんですョ。
だがしかし。 時はイソノ家☆一大事中の一大事中、緊急事態中、緊急警報発令中。
論に酔ってはいないかを検証する時間も、ちぃっとばかり足りませんでした。


ただ、たらればがナイのと同様、人間、追い込まれれば追い込まれるほど本質が出るものです。
我らアタマデッカチ一族、時間のない時ほどにとことん検証&シュミレーション。
(おお、サザエさんの登場人物の頭が大きいのはそのためか♪)(違うか~)
咄嗟の判断のようでいて、咄嗟に行動しているようでいて
いつも頭の中ではいろんなことをガチャガチャと考え、パズルのピースを組み合わせています。
父が救急病院にいた時は、時間が足りない分は、一家全員集合! の、数を頼みに物事を決めました。
寄らば文殊の知恵。 ぬほ。 結果、書き溜めていたことと同じ結論を得ておりますネ。


普段からいっぱい話をすることは、とっても大切だと実感しました。 話しててよかったと思いました。
ギリギリいっぱいの時、不用意な言葉は、心に突き刺さりやすいものです。
無用に疲れを増やしてる場合じゃないですもんネ。
普段から適切な言葉を選んで使う習慣、これは、父がとても大事にしていたことでもありました。


急がば回れ、ですかネ。 考えることは、どんな時にでも必要だ。
あとで、心から納得するためにも。 ウン。


●父が倒れた日のこと●
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「たられば」は、ない

2009年11月16日 15時28分セーブ。 書いたけれどアップできなかったものを公開しますネ。

父がまだ救急病院にいて言葉を話し出す直前。
一般病棟に移ったばかりで、誤嚥性肺炎が続き、予断をゆるさない状況下で書きました。
前向きすぎるこの文章は、わたしの本心なのだろうかと迷い、公開せずに出かけました。

丸五ヶ月経って見直しても、やっぱり同じ気持ちでした。 うふふ。




ふぅ。今日の分の校正は終了。これから病院へ行きます。
本日のナミヘイは、ちょびっと肺炎。 合併症です。 想定の範囲内なので、おっけーい!
一日一歩、もしくは〇歩。 それでOK。 今日は〇歩を奪取する日です。

  

遺伝性が強いといわれる『くも膜下』。 父ナミヘイはガン家系なので、全くの想定外でした。

父が回復への道を辿っているのもまた、実は想定外でした。
わたしは徹夜の多い業界で働いてきまして、たくさんの先輩がくも膜下で亡くなるのを見てきました。
どの方も、一度も目を開けることなく……
それ故、父がくも膜下から生還できるとは、思ってもいなかったのです。
病院へ走っている時、心の中では、覚悟を決めていました。
母には「大丈夫だよ♪」と言い、家族にも微塵もその素振りは見せませんでしたが。
でも、病院について、先生や看護婦さんの姿を見、説明を聞き、大丈夫だ! と思いました。
いや「大丈夫にしてみせるぜ、コンニャロ!」と。(コンニャロ=くも膜下)
……を考えますと、もう、何もかもが万々歳♪ 〇歩も、心から万々歳ですねぇ。 しみじみ。

ビビリの母や姉は、くも膜下について全く調べようとも知ろうともしないので、それは専らわたしの係です。
ネットで探したいろいろな情報……ふむ、前触れは、あったと言えばありましたね。
あれもこれも「ああ、あの時こんなふうに言ってたな」などと思い当たります。
しかし、そのどれもが『老い』と区別がつきにくいものばかり。
働き盛りだった先輩たちの場合は『疲れ』で片付けられることぱかり。
これを「見逃すな」って、無理だろうなァと思いました。 お医者さんだって、くも膜下になりまさぁ。

「愉しく楽しく寿命いっぱい生きようョ♪ 寿命は人それぞれだい♪」が基本方針な我が家。
生まれることや成長することと同じように、老いることも死を迎えることも自然なこと、と。
「ボケてる」「ボケてきた」と突きつけるようで可哀想な気がして……
父に、受診を本気ですすめたことは一度もありませんでした。
悪い方へ考えすぎないポジティブさ。 その「ふだんなら良い点」が仇となったような格好です。
後に担当の先生は「この年とは思えない、いい脳みそをお持ちでしたねぇ。 惜しいことをしましたねぇ」と。
ほんと、惜しいことをしちゃいました。

  

しかし、通った道を悔いているか……と言うと、NOなんです。

短気で怒りっぽいところのある父。
心配性でしつこいところのある母。
仲良しのクセに、くっだらないことで口喧嘩はよくする方だったと思います。
ふざけている時と、本気の時とがありましたが、母が本気を出すと聞いちゃあいられません。
昔ながらの、夫を立てる内助の功的妻な母ですが、口喧嘩になるとひどい有様でして。
理論破綻してても、負けようとしない。 「お母さん、やめなよ」と、誰かが止める、と。 あはは。

いつかどっちかの血管がブツーッといっちゃうんじゃないかと、わたしたちはヒヤヒヤしていたものです。
「喧嘩でプッツンは、やりきれないよ」って。 「くだらない喧嘩だったら目も当てられねぇ」って。
父が倒れてしまった今も、まだ言葉をちゃんと話せない今も、やっぱりそう思います。
口喧嘩でプッツンじゃなくて、よかったよネ、と。

生きる糧・生きる証・愉しみ中の愉しみであった町内会活動で、みなさんに頼られている最中に倒れ
意識が戻り、心配されているのを実感しつつ搬送……最高の状況だったと思うんです。
もちろん倒れないことが最高だったわけだけれど、それは考えたって仕方がない。

正直、うるさい爺さんだと思われてないかな~~~迷惑だろうな~~~と心配していましたし
いいように使われて~~~もうっ! と、思っていたりもしました。
そんな心配は、いらなかったってことでしたョ。 ウン。
「こんなに見舞い客の多い患者さんは初めて」と、看護士さんもびっくりこです。
戻ってきて欲しいって思う人がいっぱいいるんだもの。 お父さんは元気になるに、違いない。

  

最悪の状況を想定し「あーヨカッタ♪」と現況を受け入れるのもまた、我が家の風習です。
反省と考察はするが、後悔という機能は我が一族の脳には付いておりません♪(仕様です)
後悔……父が一番嫌いなことのひとつでしたしネ。
「後悔すると偉いのかっ? いいことあるのかっ? やる前に気づけって話だろっ?」
父の声が聞こえてきそうです。 クヨクヨ・メソメソ等も父は大嫌いでした。
泣かない・取り乱さない・自分を哀れまない、それだけで母は偉い。
そんな母を応援するのが、わたしたち子どもの任務です。(任務かっ)(任務ふう)
父の意識がないからこそ、父がいたらするであろうことを、せねばなりませぬ。 ウム。

しかし、打てる先手は、打つにこしたことは御座いません。
皆様は、大事な方にMRIをおすすめくださいね。
(CTやレントゲンでは、動脈瘤は発見できません。)
「疲れだ」「年なんだから仕方ない」と明るくお考えになっていても「くも膜下かもしれないわっ」と。
疲れ・老い等の言葉よりも「心配してるんだよ」「元気でいてネ」が伝わりやすいかもしれないですね。

たくさんのご家族に、愉しい・嬉しい・美味しいを長く共有していただきたいと
父の予兆を全て見逃した、莫迦な家族は思います。

  

因みに、父本人が、自分で気にしていることを家族に伝えたのは、視覚のことだけでした。
⇒⇒⇒ ≪満月が欠けている≫

最初は「眼鏡が合わないみたいだ」と、お気に入りの眼鏡屋さんに何度もお邪魔していました。
眼鏡屋さんは父が行くたびに調べてくださり「あってますよ」「買い替えなくて大丈夫ですよ」と。
眼鏡をピカピカにして帰宅しては「白内障かな」「緑内障かな」と首をかしげていました。
病院で調べることを最初にすすめてくださったのはこの眼鏡屋さんでしたが
父は一般病院で「治らないナニカ」を告げられるのは怖かったんでしょうね。
眼科を受診することを決め、その眼科からMRIをすすめられた直後に、倒れちゃいました。

惜しい。 実に惜しかったです。 あと一歩でした。
でもね。 「たられば」って、ないんですよね。

人に迷惑をかけるのが大嫌いな父。 町内会の係も会議も、絶対穴はあけません。
父のスケジュールはイッパイいっぱいで、その日しか無理だったんです。
休ませようとなんてしたら、それこそ血管ブッチギレちゃいましたもん。
うわぁぁぁ、よかったよ~! それこそ大後悔でしたョ! ふぅ。

たらればは、どんな場合にもないので御座います。
考えれば考えるほど、人は「ああ、●●さんぽいな」という道を選ぶものです。
咄嗟の判断では、益々「●●さんぽいな」という道を選ぶものなのです。
父がナミヘイで、母がフネモドキで、わたしたちがわたしである以上、必然だったと思うのです。
町内会☆命♪の父を止めることは「しなかった」のではなく「不可能だった」ので御座います。ぐほー。

  

手術直前、病室で会った父の第一声は「なっちまったもんは仕方ないナァ」でした。
第二声は「明日のこと、やりかけなんだよ。 指示するから、やっといて」。
先に会っていた姉も母も聞いてくれなかったそうで「頼むぞ、カツオ!」状態でしたよ。
この期におよんで、頭の中は町内会と責任感でイッパイ。 天晴れ☆マイファーザー。

2009.11.4意識のない父の入れ歯をはずすカツオなわたし


必然だわ、やっぱり。 たらればは、ない。


●倒れる前を振り返る●
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気づきに、気づきを得る

拍手機能にコメント機能があることに気づかず
付けたクセに、ありがたいメッセージを見逃していたオナモミです……ぐほーん。。。
真に申し訳御座いませんでした……しょぼーん。。。


今日は、そんな気づかない大魔王オナモミが、気づきから気づきを得たお話を( ´艸`)
(ありがたみが薄いですネ)(我が一族の男どもは、毛髪が薄いです)(幸は薄くない模様です)
ああ、そうだ。
弟が小さい時「オヤジがツルピカ~♪ オマエも将来ツルッツル~♪」
と囃されて泣いて帰ってきた時、父は
「いちいち泣くなバカモン!毛は薄いが幸は薄くない!将来のことは今考えたって仕方ない!」
って、言ってましたねぇ。 ぶほほほ。 あ、脱線大魔王。



自主的お出かけ不足のオナモミは、写真ブログと知恵ブログを拝見するのが好きです。
毎日愉しませて頂いている知恵ブログ代表は、宮本洋一さまの「人名力」( ´艸`)
宮本さまのブログは、言葉から言葉へと思考が繋がっていくのが愉しいトコロ。
読んだあとにいろいろ考えて、オツムがどっかへ旅立ってしまうこともしょっちゅうです。
その宮本さまから、「おーい、栃木がないんだけど」へ、こんなメッセージをいただきました。
栃木(Tochigi)の母音は oii で、コーヒー(coffee)は oee ですから、
音が似ているということに気付きました。

おおおおおおお~~~( ´艸`) 旅立たねば♪ (どこへ?)(たぶん、栃木)


高次機能障害になっても、英語とフランス語は忘れていない父ナミヘイ。
居間に出てきて  「やぁ諸君、グッドモーニング♪」
おやつが欲しくなって  「美味しいショコラータは、今日はないのかな?」
家族が多めに集まると  「みんな集まって、ハッピーデーだな♪」
散歩中にご近所さんに  「ボンソワール、マダーム♪」「やぁ、ボンジュール♪」
……などなど、チャンポンですが、わりと正しい使用法でちょいちょい使っております。
そして発音は、もれなくカタカナふう。 うち、みんなそうです。
巻き舌の江戸っ子舌・下町舌、英語やフランス語の発音に向いていそうですが
そうは問屋がおろさねぇのが、誠に不思議で御座います。 ツクツン(拍子木)


さて。 父ナミヘイの、珈琲の発音はどうでしょう。
英語風にcoffee ではなく、カタカナでKo-hiiと発音していましたネ。
その母音は……この際「-」は忘れマショウ……oiiではないですかっ!( ´艸`)


ということは。
あらびん☆どびん☆はげちゃびーん!


栃木(Tochigi)=珈琲(Ko-hii)! ヤッホー( ´艸`)

栃木は美味しいものがイッパイ♪by U字工事/珈琲は美味しいもの♪ byナミヘイ

去年、デパートの日光フェアで久々に再会した、日光レークサイドホテルのチーズケーキ。

∴栃木と珈琲は仲間♪ だいたい☆オッケー♪ ……と、父語辞典に追加しなければ。 あはは。
宮本さま、ありがとうございました~!


●流暢性失語症●
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おーい、栃木がないんだけど

父  「おーい、栃木がないんだけど」
母  「えー? なぁにぃ? もう一回言ってー」


何かがナイラシイ。 しかしそれは栃木ではナイ♪


流暢性失語症の父は、自分の口から出た言葉が間違っていることには気づきません。
父の症状は、
聞く    ◎
考える  ◎
読む   △
書く   限りなく×に近い△
話す   (?◇?)

こちらが言う栃木は「栃木」と聞こえ、父の口から出ている栃木は、栃木であって、栃木でナイ。
「栃木ってなぁに?」と聞くと、何の話だ?と言わんばかりな顔をするだけですネ。
毎日が頓知と禅問答とナゾナゾですョ。 そういうもんだ♪と思えれば、なかなか愉しいですョ。


父の場合、名詞、特に固有名詞が滅茶苦茶になるので、動詞や形容詞から推測していきます。
そのためには、聞こえなかったフリをして、もう一度言ってもらうのがベストなのでゴザイマス。


言っている意味がわからない……は、駄目です。 悲しくなるか、怒るか、どっちか。
だって、本人はちゃんと喋ってるつもりなんですもんね。 うふふ。
病院にいる時は、気の短い看護士さんがヤッチャウもんで、困りましたねぇ。
リハビリ病院でも、父は言語の時間(ST)が一番嫌いでした。


さて、続きでゴザイマス。
母  「ごめん、ごめん、よく聞こえなかったの。 もう一回言って」
父  「栃木が、もう空っぽなんだ。 熱いのがいいな♪」

わかった♪珈琲だ♪

母  「はい、じゃあ熱い珈琲、淹れてくるね」
父  「うん、うーんと熱い栃木ね♪」


父は珈琲が大好きで、珈琲博士の異名がありましたのに、なかなか珈琲と言えません。
しかし、なんで栃木だョ(*m*) それは、誰にもワカリマセン。 あはは。
お父さん、毎日食べてるイチゴは、栃木産のとちおとめだョ。
栃木って、いい言葉だネ。 愉しい結婚記念日で、よかったネ。


<おまけ>
「はい、栃木♪」と珈琲を渡すと「何が栃木だよ」と言われます。 ぶほほほ。
そして、本当は何とイウモノかは、たいてい教えてもらえません。 ぶほほほ。


●流暢性失語症●
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父が、わたしの、名を呼んだ

3/27。父が、わたしの、名を呼んだ。
家族だけの中で使う、父だけが使う、いつものわたしの愛称で。
倒れてから、初めてのこと。

ふふふふ  お母さん。
お父さん、わたしの名前、呼べたよ。

ずっとずっと、わたしのことを
次男、お兄ちゃん、ミソ
そんなふうに呼んでいた。

またひとつ、父の回線がつながった。


11/1。 「お父さん」と呼びかけたら「おう」と声を出し、手を握った。

父は、わたしが自分の子だということは、目をあけた時からわかっていた。


わたしは、次女で、男らしくて、ミソとは違う名前です( ´艸`)
いやっほーウ! と、走り回りたいところですが、我慢、我慢。

流暢性格失語症は、見る・聞く・話す・考える……が、うまく繋がらない、そんな感じです。
自分の発した言葉が合っているとか間違っているとか、そういうことはわからず
聞くこと・聞いたことを考えること……は、しっかりできるので
「いつも正しく喋っているハズの自分」が大喜びされると、考え込んじゃうんです。
むむぅ。 大喜びしたいのにぃ。 くふふ……ぬふふ……ぶほほほ……ああ嬉しい( ´艸`)

●一歩前進●
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家族がいつも傍にいる~祖母の教え

くも膜下が父を襲ったあの日から、もうすぐで丸五ヶ月。
「今日も生きていてくれた」のあの日から
「嬉しい・愉しい・美味しいがわかるように」の願いを経て
「やっぱりうちが一番ネ♪」の在宅介護生活が軌道に乗りつつあります。

記憶が薄れないうちに……
リアルタイムで書き留めておいた父がくも膜下で倒れた時のことを
振り返ってまとめておきたいと思います。


あの日わたしは、校了明け⇒月末の請求書お届け行脚のあとで
服を着たまま、お昼寝ならぬお夕寝をしていました。
校了明けの脳ミソは、猛烈な睡眠モード。 24時間起きないことも稀ではありません。
ジャンジャカ鳴り続けたはずの家族からの着信音は、なかなかわたしの脳ミソには届かず
この鳴り方は尋常じゃない! と、脳髄と筋肉に電撃が走ったように飛び起きたのは
母がかけた最初の着信から、1時間ほど経ってからのことでした。

着信履歴を埋め尽くした、母・姉・弟の番号。 何かが起こったのは、父!



全員にかけてみるが、誰にも繋がらない。 気を落ち着けて、メールを確認。
しっかり者の姉から、現時点でわかることをまとめたメールが届いていた。
残業中だった姉は、まだ電車の中。

父が、会議の合間に倒れ、くも膜下であること
救急車は5分で到着したこと
休みだった弟がクルマをだし、母と追いかけたが、父は別の病院に移送されたこと
その場で検査の支払いはせねばならず、かなり時間がかかり、母と弟もまだ父に会えていないこと
町の職員さんが同行してくれ、付き添ってくださっていること
移送先がまだわからないので、ターミナルステーションまで着たら乞う連絡……ここまで。
着たまま寝ていてよかった! バッグはお出かけ仕様になっている! だらしない自分に、万歳三唱。

夫に電話をかける。
会議と接待の多い夫との連絡は、いつもはメール。
電話が鳴る=ただごとではない とわかったであろう夫は、会議中なのに出てくれた。
「長丁場になることを祈る」と、へそくりの在り処を教えてくれた。

夫もわたしも、広告業界に身を置いている。
何人もの先輩が、くも膜下で逝ったのを見ている。
徹夜の多い毎日。 それでもしなければならない接待。 接待したあとにもまた徹夜。
「校了前に、自分が校了にならないように気をつけよう」なんて話をよくしたものだ。
くも膜下! 負けるもんか! お父さんは渡さん!

走りながら、もう一度家族に電話をしてみる。 誰にも繋がらない。
ままよ、と、父の携帯を鳴らして見る。
4……5……6……10回鳴らしたら切ろう……そう思いながら鳴らしていたら「はい、僕だ」

「お父さん! 大丈夫なの?!」 (体調、そして、電話に出てていいのか、と)
「いや、大丈夫じゃないみたいだ」
「そうか~。 びっくりしたよね。 でも大丈夫だよ。 みんな向ってるからね」
「おおそうか。 なるべく早く来てくれよ」
「うん、わかった。 そろそろお母さんは着くと思うから、安心してね」
「ああ。 なんか、電話しちゃ駄目だって言うから、切るよ」
「はいはい。 待ってて。 急いで行くからね」

どちらも、動揺と安堵とが入り混じっていたのだろう。
振り返れば、大丈夫という言葉が何度も出てくる、変な会話。
声はとても弱々しかったが、父の頭ははっきりしている。 そう感じた。
次いで、姉・母・弟と電話が繋がり、少しの安心を胸に電車に滑り込む。
時計を見ると、覚醒してから丁度5分だった。
いつもは駅まで10分かかる。 火事場の馬鹿力、第一弾。

病院に着いたのは、タッチの差でわたしが最後。
母・弟・姉・義兄・甥・姪が、待合室でお弁当を食べていた。
検査が続いているので、まずは腹ごしらえよ……と、弁当を渡された。
母は泣いてはいない。 きっと父の命は大丈夫! まずは存えてくれれば!

弁当を食べながら、祖母の教えを受け入れていてよかった……そう思った。

父へ…と、大雨の日に届けてくださったお花たち。

両親は、弟と3人暮らし。
姉夫婦は、車で1時間のところに2人の子どもと4人暮らし。
わたしは電車で1時間弱のところに、夫と2人暮らし。
ちょいっと集まれるところに直系の血の濃い人手があり
200人を超える親戚も、みな1時間ほどで移動できるところに住んでいる。

これは、母の母、わたしの祖母の教え……というか、我侭のおかげ。
湯島で材木屋兼指物業を営んでいた母の実家。
祖母は、自分の子どもたちに在京の人以外との結婚を許さない人だった。
新婚用の家も、実家から都電で30分以内のところに勝手にみつけてしまうような人だった。

理由は三つ。
「しきたりや常識が違うのは喧嘩の元」「家族は近くにいてこそ百人力」「傍にいないと寂しい」。
最後には「親の言うことは聞くもんだ」が出て、それでもおさまらないと、祖父が矩尺でガツン。
八人兄弟の末っ子であった母は、祖母が強固に姉兄の結婚を阻止する様を見続け
お友達付き合いの段階で、東京に根があるか否かが気になるようになったという。
ただし、昔の人にとっては何人もの恋愛遍歴……なんてことは至極珍しいことで
父と母は、最初で最期の大恋愛で結婚。 長い不妊の期間を経て、わたしたちが生まれた。

小さな頃から繰り返しこの話を聞き「だから三人も、在京の人としか結婚しちゃ駄目~」という母を
時代錯誤も甚だしいと思っていたものだが、気づけば姉もわたしも、在京の人と結婚している。
たくさんいる年の離れた従姉妹たちのほとんどが、在京の人と結婚していることも影響していると思う。
わたしが生まれた時には既に主婦となっていた従姉妹たちは皆、愉しい家庭を築いていた。

時代遅れの共依存的仲良し……と、馬鹿にすらされる我がイソノ家の面々。
「なんか、サザエさんちみたいだね」と初めて言われたのは、小学生の時だった。
友達の両親を生めそうな我が両親。 躾は戦前並みに厳しかった。
けれど、待ち望まれて生まれ、大事に思われていることは、ひしひしと感じて育った。
そして、わたしたちは東京しか知らない。 東京にしか居場所がない。
父と母に気軽に会えない場所に、わたしたち姉妹の幸せはない……妙齢の頃には納得していた。
実際、結婚生活は楽チン。 やっぱり、目玉焼きには醤油。



家族が集まったところまでだけで、とても長くなってしまいました(笑)
また、続きを書きたいと思います。

そうそう。 湯島の祖母は、老衰で穏やかに天に召されるまで、家におりました。
時々「早くお爺さんのところに行きたいナァ」と呟いていたけれど、まだ小さかったわたしには
死にたいという意味ではなく、お爺さんが大好き、という意味に聞こえました。
祖父は脳梗塞であっけなく逝き、15も下の祖母は気落ちしてしまい、寝付いてしまったのですもの。
祖父が逝ってから一年後、祖母は、祖父を追いかけるように逝きました。
娘に息子、嫁に婿、たくさんの孫に曾孫……家族に囲まれて、穏やかに、穏やかに。
最後に喋っている祖母を見た時、祖母は意識がなく「お爺さん、お爺さん」と言っていました。

畳の上で、家族と一緒に。 祖父・祖母に始まり、たくさんの親戚をそうして看てきました。
家族が傍にいるから容易にできること。 これが我が一族の「幸せの最終回」。
一日でも長く、共に現世で過ごすことを願いながら、その日が来たらたくさん泣いて
愉しかったあの日のことやこの日のことを語り合い、1時間でそれぞれの家へと帰るのです。

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介護は、頑張っちゃってもいいと思う

昨日の綾戸智恵さんのニュース、切なかったです。
自分でとことんみたかったお気持ち、すごくよくわかります。
「無理しないで」「頼って」ってみなさん言ってくれるけれど、言われれば言われるほど
「おばあちゃんは、私を一番喜ぶ」って実感する、あの感覚が。
倒れたっていい♪ 頑張っちゃうョ♪ って湧き上がる、あの気持ちが。
どうぞお大事になさってください。



父も、病院にいる時、よく言っていました。
「みなさんご親切だけど、家が一番。 早く帰りたい」と。
失語症が顕著なので、はっきりとは言えなかったんですけれどね。
言えないのに、何度も、そのような内容のことを言う。 家族には伝わる。
その一生懸命な姿が愛おしくてね。 切なくてね。

嬉しい・愉しい・美味しいがわかるうちに、その思いを共有できるうちに
1分でも1秒でも長く家にいて欲しかった。
はっきりと言葉にできたのを聞いちゃったら、もうダメですよ、こっちが。
「婦長さんに頼んでみるよ」と言ったら「頼むよ、隊長。 僕が言うと伝わらないから」とハッキリと。
子どもの中で物言いが一番ハッキリしているわたしに、父は交渉係を必ず頼みました。

父は、自分が言うことはヒンチャカプンチャカらしいとよく言っていました。
ヒンチャカプンチャカは父が作った言葉で、滅茶苦茶のことです。

流暢性失語症が顕著な父の要求は、病院では汲み取っていただけないことが多かったんですね。
一生懸命伝えようとすればするほど言葉は滅茶苦茶になり、看護師さんもプチギレ状態になる。
看護師さんは父だけを見ているわけではないですし、救急病院ですから、1分1秒が大切な方だらけ。
何か言うと怒られる……と思うと「体調はどうですか」などの簡単な質問にも答えられなくなる。

家族だと、普段の生活や嗜好から 「して欲しいことはこうだろう」と想像できて
実際には会話は成立していなくても、父にとっては「伝わった♪ わかった♪」となり
ご機嫌になると、ますます脳はちゃんと機能してくれる時間が増えていく。
ヒンチャカプンチャカも、会話を続けているうちに落ち着いてくるんですネ。
……となるのがわかると、面会時間いっぱい、病院に詰めたくなるワケで。

朝食:6時半から1時間
昼食:12時から1時間
午後:3時~4時
夕方:5時~8時
この全ての時間、1日も休まず、母は救急病院におりました。
母が倒れることのないよう、姉・義兄・甥・姪・弟・わたしのいずれかが母に付き添いました。
ICUにいて意識朦朧だった最初の2週間は、これで最期か……の思いもあり
いてもたってもいられず、エブリデー「病室だョ☆全員集合!」でしたが。
病室に入れない時間は、喫茶店で寝ていた母。 


頑張るなって言われるのがストレスになる人がいるんですヮ。 例えばうちね。 あはは。
「自分の時間を持たなくちゃダメ」「力を抜いて他人に任せちゃいなさい」
その手のことを言われるたびに、母はプチギレます。
「お父さんに使う以外の時間なんていらないっ」 「だったら家族なんていらないじゃないっ」
ははは。 その通り♪ お母さんのしたいように、お父さんのシアワセな時間を作ろう♪

綾戸さんが、薬の飲む量を間違えた……これは、単純なる真実だと思います。
うちの母も、自分の薬を「あれ? 飲んだっけ?」って、よくやっていますよ。 骨粗&血圧。
父が倒れてすぐ「介護リーダーのテンパりは相当なものなので、お守りに」と、睡眠薬も処方されました。
が、三倍飲んでも大丈夫な薄いモノ。 それを母は知りません。
飲み間違いはよくあることなので……と、先生がそっと教えてくれました。
睡眠薬を飲んだことのない母には「これでも充分効きます」とも仰っていました。

そもそもうちは、一族郎党☆どいつもこいつもハイテンション。 悩めないのが悩みです。
睡眠不足だとハイになる⇒よりご陽気さん♪ というラッキーな血筋。 ご先祖さま、アリガトウ♪
だけど、母はそもそも持病が多い人。 無自覚☆ど疲れさま☆ですと困ります。
共倒れを防ぐために、眠くなくても眠れる時間に寝る、これは大切です。
ハイテンションの母を寝かすのは一苦労。 結局朝まで一緒にDVDを見たりしています。
「お父さんはお母さんが大好きなんだから。 お母さんが元気なのが、お父さんの一番の薬だよ♪」

睡眠関係で辛さを感じたら……誰でもいいから、是非助けてもらってくださいね。
と、人に頼るのが嫌いなわたしが言ってます。 聞いても聞かなくてもいいですョ。 わはは。



父の介護に我が夫が殆ど顔を出さないのは、夫の父上も癌を患っているから。 転移アリです。
「癌なんだから転移ぐらい当たり前だろ。 できたら取る、死ぬまで生きる、それだけだ♪」と
実にカッコいい舅であります。 しかもコレ、本気で言ってますの。 ぶほほ。
夫の実家にも「本当は不安でしょ」「もっと調べた方がいい」とのご親切が寄せられます。
舅はキレマス。 「小突き回されたいかっ! 君と一緒にするなっ!」 ぶはは!
山の手っ子のクセに下町っ子っぽいですナ、父上(*m*) ま、まだまだ上品だけどゥ。 

そんな裏表のない父上なので「お父さんを看てあげな。 こっちの心配をしたらダメだぞ」の言葉を
ありがたく真正面から受け取る、ダメな嫁で御座います。
「いい娘だからいいだろ」と、また父上。 あはは。 夫の実家は、娘夫婦との同居です。
実の娘が一番頼りやすいことを、身をもって知っている義父母に義妹。 助かります。
「頼られ好きな娘を持つと、助かるのよ~♪」と、母上。 義妹はにやり。

ここの家の息子ですから、我が夫も、考え方はコレ系。
嫁らしく~~とか、お前のやることは~~とか、一度も言ったことがありません。
思ったこともないとオモイマス。 助かります。 家風が似てるって、大事ですなァ。
ということは、サザエさん一家と寅さん一家は似てるってことですか。 まぁいっか。

夫には「実家ばっかりでゴメンネ」系を、口に出すようにしています。
思っていることはどんどん口に出す。 感謝の気持ちは特に。 円満ですよ。 あはは。

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●入院を振り返る●
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うろうろないい天気

姉家族が向かってくれたので、実家係は免除のカレンダー上の三連休。
よいこと思いついたョ、と電話をしてみました。 父が取りました。

父  「おお♪ 今日は来ない日だろ? 今テレビ見てるから、お母さんでいいかい?
    それにしてもうろうろないい天気 だなァ♪ そっちはどうだい?」

たぶん、麗らかないい天気、のコト( ´艸`)
高次機能障害、特に流暢性失語症が顕著な父。 ご機嫌であればいいのです。
「今日は来ない」も覚えているし、電話も取れたし♪ GOOD、GOOD、GOOD♪
お空が笑っているのはねぇ♪ おとーさんが笑っているからョ♪ byサザエさん。
「うん、こっちも麗らかだよ♪」 とこたえると、「そうか♪ じゃあお母さんに代わるから」。



母には、「お母さんは、お父さんをナミヘイさんって呼んでみたらどうかなァ?」と。
なかなか自分の名前が言えない・振り仮名も書けない父ですが
名前で呼ばれることがほとんどないせいかもしれないナァと思いまして。
ちなみに、「お父さん」 「おじいちゃん」 「イソノさん」 が自分のこと…は
その呼びかけが多かったせいもあるのか、意識が戻った瞬間に理解していました。

フワァ~。 ウロウロデ、キモチイイヤ。 オカーサンハ、サッソク、ヤッテミタンダヨ。

出演:実家のチロ

母  「ナミヘイさん」
父  「ナミヘイさん?」
母  「そう。 お父さんの名前。 名前で呼ぶのも素敵でしょ」
父  「うん? 名前? だいたいそんなようなもん だろうな♪」 ←満足げ
母  「うん、ナミヘイさんなのよ」
父  「それがー どうしたんだァ?」
母  「ほら、週末はまた病院だから。 名前、言えるようになると、いいでしょ。
    『お名前は?』って、いつも聞かれるもんね」
父  「僕はそんなことはどうだっていいんだよ♪ だいたい、名前なんてもんはね
    あっちやこっちで ぺらぺら喋ったらいけないんだよ♪」 ←得意げ
母  「えーーーーーっ!」
父  「そうだよ♪ 知らないの? ダメなオジイサンだナァ♪」 ←超☆得意げ



ダメなオジイサン呼ばわりまでされて、母は抱腹絶倒。 今日も今日とて、とっぺんぱらりのぷぅ( ´艸`)
父は孫のワカメの名前を忘れてしまって 「そこの、表情の美しい人♪」 と言っていたとか。 オイシイぞ☆お父さん♪ 校了明けの水曜以降は毎日行くからね。 生漫才☆見せて~!

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●夫婦漫才●

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どうぞよいおとしを

なんだかんだでいい年の瀬ダァ♪な気がしているオナモミです。
猫好きは、なんだかウキウキしてしまう寅年がもうすぐそこ。
みなさまも、どうぞよい年の瀬と新年を♪

締めくくりの写真はこれですな( ´艸`)
なんだかメデタゲ(気のせい)


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知恵者ピヨヘイ

父ナミヘイは、相変わらずニコニコご機嫌なピヨヘイさんです。
昨日わたしは暇子だったので、ずぅっと病院にいることができました。
母フネモドキは溜まりに溜まった家事を片付け、ナミヘイの夕飯時にバトンタッチしましたよ。

くも膜下の後遺症のひとつに、麻痺等がないにも関わらず歩けない…というのがあります。
とても心配だったのですが、転院3日目にはスタスタ歩くことができ、安堵しております。

  

昨日は、勉強の時間以外は『談話室』で過ごすことが赦され、とても愉しそうでした。

お茶は熱めではないと飲まないナミヘイが「お茶買ってきてくれよ」というので
カフェインの少ないものを選びました。 美味しそうに飲みました。
「もっと金ッ気の強いのも飲みたいな」と言うので、たぶん珈琲のことだろう、と。
「珈琲はほんとはダメだから、内緒で急いで飲まないといけないョ」と言うと
「わかった。急いでくれよ」。
※何でも食べたり飲んだりしていいのですが、持込が禁止されています。

甘めのジョージアのロング缶を買ってくると
イソイソ・ウホウホと上手に蓋付きコップに移し
蓋で隠しながら「美味いナァ♪」 20分かかって飲みました。
飲んだあとは、少しとっておいたお茶を自分でコップに注ぎ、それも飲みました。
「証拠隠滅♪」とニヤリ。 あははは。

部屋に戻ると「久しぶりに珈琲を飲んだーーーーって、日記に書きたいんだ」と。
字を忘れているナミヘイは、10分かかって『久しぶり』と書きました。
「おっと。珈琲飲んだのは内緒なんだったな。ここまでで、やめとこう」。

両親が披露宴をしたレストランに、今年、初めて家族で行った時の1枚。

美味しい珈琲、また飲みに行こうね。 と、テンプレ、珈琲色に変えてみました( ´艸`)

何でも2プンで忘れちゃうんだー  と言っていた父。 日々進化しております。

「今度0.6ぐらいでいいからさ、1本持ってきてくれよ」
………なんのことカシラ………
と思ったら、タバコかいっ(*m*)
「病院の人にもブッコロサレルけどさぁ、あたしがサザエモドキにブッコロサレルョ~」
と言ったら「わはは。さすがのうちのお兄ちゃんでもダメか」ですって。

父は今、わたしを「うちの次男」「うちのお兄ちゃん」と言います。


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・・・◆昨日のナミヘイ語録≫≫≫≫≫◆Click,Here♪◆

イソノナミヘイ、強化合宿に突入する

父の話ばっかりでスミマセン。
今までよりなおのこと、父を中心に回るリアル☆イソノ家( ´艸`)

12/14、父は、無事イソノナミヘイ強化合宿に突入することができました。
え(?◇?) 強化合宿ってナァニ(?◇?)
ですよね。 リハビリ病院への転院のことですヮ。ぶほほ♪
迎えに行った時の嬉しそうな顔といったら、可愛くてこっちがシニソウでしたよ( ´艸`)

病院の外に自販機がありまして。 
それが目に入った瞬間 「お、珈琲飲みたいな♪」 と。 嬉しかったですねぇ。
三週間ほぼ飲まず食わずで、その後も大好きな珈琲のコの字も出てこなかったんです。
進化する男、イソノナミヘイ! 珈琲再デビューの日は、強化合宿☆開始日♪

「野球大好き☆ナミヘイの快気祝い」は、ナボナ( ´艸`)(一部ゴディバ)
◆クリックで◆◆巨大化シマス◆
トボケタ家族☆仮代表、イソノフネモドキ筆


なんで強化合宿かってーとですね。
大好きなスポーツに関する言葉に置き換えると、すんなり理解してくれるからです。
転院・リハビリの言葉には 「うん?」 と考え込んでしまうので
「階段昇れないとおうちに帰れないから、強化合宿するんだよ」 と言ってみたら
一発で 「まだ家には帰れない」「頑張れば帰れる」 の2点を理解してくれました。

「トレーニングは、結構疲れるけど愉しいぞぉ♪」だそうです。
転院3日目にしてスタスタ歩き、母のフネモドキは「驚いてシヌかと思った♪」と。
いよいよ校正の追い込みでシニソウなわたしは昨日は病院に行けなかったので
次に会える日がとっても愉しみです。


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・・・◆強化合宿だョ~♪≫≫≫≫≫◆Click,Here♪◆

備忘録◇お世話になったURL

父ナミヘイが倒れてすぐのこと。
母フネモドキ&姉サザエモドキのビビリなのには本当に困りました。

くも膜下からナミヘイを蘇らせるには知ることが一番の力になる。 のに、のに、のにっ!
2人揃って 「怖い~」 「知りたくない~」 「いや~」 ………もうっ(*◇*)
フグタ家はサザエモドキの支配下にありますので、サザエモドキがノーと言えば全員ノー。
ぐほーん。 どいつもコイツも~! わたしだって怖いですヮよ!

仕方ないので、ググりにググって、怖くない書き方のページを見つけ
一生懸命読んでは、さらに怖くないように通訳いたしました。 ぶー。
繰り返し読んだ大変お世話になったページを、貼り付けておきます。

≪くも膜下そのものについて≫
http://jns.umin.ac.jp/ISAT_ippan.html

≪くも膜下の合併症について≫
http://www.hachioji-hosp.tokai.ac.jp/hp/neuro/page019.html

≪水頭症について≫
http://healthlife.xrea.jp/noshuketu/category5/entry29.html
http://www.suitosho.com/cure/

≪リハビリについて≫
http://www.venus.sannet.ne.jp/stroke/rehabili.htm

≪介護日記個人ブログ≫
http://remenbertodo.blog26.fc2.com/

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どんぐりさんその後、など

雨にあたって、芽がでてしまいましたとサ…の証拠写真。ぶほほ。

さて、この子たち、どうすべぇかなァ。
(まだベランダに置きっぱなしの莫迦)


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・・・◆あーみど、あみーどが変だョ~≫≫≫≫≫◆Click,Here♪◆

これが証拠の品でゴザイマス

今日もこれからナミヘイと病院漫才もとい、介護でゴザイマス。
もう少ししたら母のフネモドキと出発、姉のサザエモドキと三時半に合流です。
ケアマネさんと、リハビリ転院の相談ですョ。わーいわい♪
学校が終わったら姪のワカメが来て~~~、甥のタラオ二号も来て~~~
最後にマスオ兄さんが、毎日車でお迎えに来てくれます。
最初は追いかけてこようとしたナミヘイも、今は
「御苦労」「また明日♪」とか言いますョ。うふふ。

仕事の遅い弟のタラオと我が夫ヒトシは、週1ペースぐらいで顔だしです。
お留守番をこんなにするのは初めてのヒトシも頑張ってマス。
ラーメンとギョーザを作れるようになってましたョ。レトルトですけどネ( ´艸`)

それにしてもマスオ兄さん、すごすぎ☆偉すぎ。
つか、兄さん、一応営業部長なのですネ。
毎日定時であがってオッケーって、今時すごい会社かもしれないデス。
いい婿さんを頂きましたヮ。サザエモドキ☆グッジョブ♪(違う)

あ。姪のワカメは、病院中のアイドルです。
「こんな孫が欲しいヮ~」「こんな娘さんがいたら安心ね~♪」
看護婦さんにもご家族にも、他のお爺ちゃんたちにも褒められます。ぬほ。
おばちゃんは鼻が高いゾ、ワカメ♪(オナモミが威張ることではナイ)

毎日おかしいことばっかりで、はらわたがヨジレッパナシです。それはまた書きますね。



さてさて。証拠の品はこちら。ナミヘイがオムツに隠してたタバコ。(と、ナミヘイ人形)
万一ばれた時に備えて、タラオと同じタバコにしているところが激ウケ(*m*)

ナミヘイが帰るまで、ナミヘイの代わり(らしい)

なかなかこれないヒトシは、時々「お母さんに」といろんな菓子折を買ってきます。
フネモドキが一番気に入ったのはマロングラッセ。
「これはオイシイわね~♪仏壇にもひとつ供えましょう♪」と
このナミヘイ人形とタバコの隣に置いていました……。

あのぉぉぉ、オカーサン……
それ、仏壇じゃないし。うちに仏壇ないし。
てか、父さん死んでないし(*m*)


ナミヘイが入院した直後、フネモドキもCTとMRIをしてもらったんですけどネ
フネモドキ、脳みそ満タンで、すっごくいい脳みそと血管なんですって。
………信じないョ。あたしゃ信じないョ。
こぉの、アルツの元少女☆おばんちゃんメ。
(ナミヘイは、ご機嫌な時、フネモドキを「おばんちゃん」と呼びます)



タラオも帰ってきてからフォトショなどを使って仕事をするので
なかなかお邪魔が出来ません~。 仕事させてもらうだけで時間切れ。
そろそろ書き込みしたいんですョ。 容態もこっちのキモチも落ち着きました。
うふふ。また遊びに行きますネ。


●われら偽磯野家●
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ナミヘイ、ひよこになる

父ナミヘイがくも膜下で倒れてから、ちょうど二週間が経ちました。
温かいお言葉、そして変わらぬ関わり、ほんとうにありがとうございました。

一歩前進二歩後退を繰り返したナミヘイは
おかげさまで、11/8には「再破裂の危険はないでしょう」のお言葉を頂戴し
昨日11/12の午後、ICUを出て、一般病室に移ることができました。

嬉しいことは、甘いものでお祝い♪ それがフネモドキルール。
先にかじられてしまったわたしのクリームブリュレ。


ナミヘイ、四肢に麻痺はなく、時折ウンチクある言葉を吐きつつ、毎日よく寝ています。
起きている時は、相変わらず「聞く・話す・考える」は繋がらないままなのですが
(脳血管攣縮と水頭症が出たせいなのですが、重篤ではないようです)
うまい具合に、脳みその壊れてしまった部分は「怒り」や「プライド」「建前」だったようで
家族の手を探し、手を握るとにっこりし、自分の言いたいことを話します。
本人的に「会話が繋がった♪」と思う時は、にっこりもビッグになりますよ。カワエエ♪

ほんとうに可愛いですぞよ。ひよこさんのようですよ。
メヂカラはしっかりあるので、コンドルのひよこさん………うふふ。

母のことは本当に大好きだったんだなぁと。これまた大変嬉しいことです。
フネモドキが「お母さん、独りじゃ眠れないモン!」なので、わたしは泊まり込みで
日中から面会時間いっぱいまで病院にいて、取材に行く時に抜ける……という毎日なのですが
わたしがいて、母がいない……と、母はどこだと、必ず聞きます。言えない時は目が探しています。
お母さんはすぐ戻るよ~と言うとにっこりし、わたしの手を握ってうとうと。
こんなにいっぱい手をつなぐの、久しぶりだね、お父さん。超カワエエ♪



ナミヘイと言えば…の「バカモン!」はもう聞けないとは思いますが
「お父さんてほんとにいい人だったんだねぇ」を日々実感しております。
ボケると人間の本質が出るってよく言うけど、ほんとに紳士なことしか言わなくて。あはは。
家族・野球・珈琲で、ナミヘイの脳みそはイッパイだったことがよくわかりましたョ。
一番大きな部分を占めているのが妻のフネモドキであることも。

1日に何度か、ちゃんとナミヘイに戻る瞬間がある。これで充分です。
シアワセですぞよ♪ サザエさんは新シリーズに突入なのだ♪
歳も歳だし、リハビリ転院はなるべくせずに、実家で介護を……と、家族で決めました。

そして我が家が大変に仲良しなことも、マスオ兄さんが本当に頼りになることも、実感。
マスオ兄さん、マジすごい。かなりの感動~!「兄さんはやっばりすごいヤ♪」 byカツオ。
姉のサザエモドキ一家は、毎日「病室だョ、全員集合♪」です。
甥のタラオ2号と姪のワカメも、毎日学校帰りにきてくれます。
しっかり者のワカメだけが、電車の回数券を買いました。うふふ。
(カツオなわたしも買いましたョ~)

てゆーか、エブリデー全員集合。エブリデー写真撮りまくり。アホ。
でも、一瞬一瞬が嬉しいんですもの。しょうがないヮ♪
今度はご同室の方が三人いらっしゃるので、写真はしばらく撮れないです。えへ。
フネモドキは「お父さん入院日記」を書いてます。毎晩サザエさんのDVDを見ています。



ヒトシはピスたちおと亀ちゃんずのお世話をしつつ、たいていお留守番です。
時々帰ると、お茶わんや猫たちのお世話セットがきちんと片付いています。
やればできるじゃないか、ヒトシ!
あ、わたしも、病院・実家・取材・自分の家とウロウロしているのに、校了はきっちり進んでいます。
やればできるじゃないか、わたし!(ヲイ)

ちなみにナミヘイ、ヒトシのことはじぇんじぇんワカラナイ模様(^m^)
素敵なお客様であるかのように紳士的にお迎えしていますが、全く認識していましぇん。
サザエさんに登場しないもんねぇ…植木等さんは。たいてい寅屋の寅さん状態ですし。ぶほほ。
四角四面な緊張したヒトシじゃ別人だもの。わからなくて当然ですヮ♪



昼係に行ったフネモドキとサザエモドキから
初めて姉の名を呼び、ご飯も全部食べたと、連絡がきました。大安効果だな♪
夕方はタラオが、夜はわたしが係です。フネモドキは通し番。
家族っていいですねぇ。クリスマスとお正月は。おうちで迎えようね、お父さん♪
「愉しい」 「嬉しい」 「オイシイ」等がわかるうちに、いろんなことをしたいです。

今日わたしは校了日その1。タラオのPCにて順調に校了中です。
医療や介護についてはいろいろ考えさせられましたが、またゆっくり書きますね。

いい先生にあたって、いい病院にあたって、シアワセです。主治医の先生は、メキシコの方です。
リハビリ転院しない方向で、いろんなアドバイスをくださいます。
「●●…というのは専門用語ですが、●●のような状態のことです」のように
優しく、易しく話してくださるので、こちらも大変わかりやすく
考えながら、受け止めながら、お話を聞くことができますョ。言葉って大切だヮ。

ナミヘイは、磯野マジック+メキシコマジック☆真っ最中♪おっけーい♪
せっかく拾ったどんぐりは、ベランダで雨にあたって芽がでちゃいましたョ~。わはは。



(・◇・)ぼそそ。

倒れた時はまだお話もしっかりできたでしょ。町内会イベントの指示とかもしっかりしてて……
その時、手術用に着替えたオムツの中に、しっかりタバコを隠していたナミヘイ。
それが発見されたのは、発熱を繰り返して夢うつつが続いた11/5のことデシタ。
オムツ交換の時、夢うつつでもしっかり手に握りこんで隠しては戻し~~してたみたいデス。
やるな、ナミヘイ! つか、どんだけタバコが好きなんだョ( ´艸`)
母と姉には、タバコはやめたことになっていたのデス。どんだけ2人が怖かったんでしょうか(*m*)

「わっしが隠してやっといたからナ。元気になったら吸ってもいいってョ」
と言うと、にやっと笑います。カワエエ♪ ひよこ父さん、バンザーイ♪


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しばし休止いたします

父ナミヘイが、10/30、くも膜下で倒れました。
町内会で文化祭の準備に張り切っていた最中、公民館で。
大好きな町とその町内会活動、本人は本望でしょう。
倒れてから救急車が到着するまで6分、病院搬送まで35分。
最善の手を尽くしていただきました。
家族全員が到着し、手術に入るまで、会話もできる状態でした。

手術は成功しましたが、高齢で動脈硬化などいろいろあるので出血が止まらず
脳の言語分野を血が圧迫しており、聞く・話す・考えるが繋がらない状態です。
が、ナミヘイ的語録
「倒れちゃったもんは仕方ねぇ」「忙しいんだから来なくていいぜ」等は
相変わらず吐いております。

ナミヘイマジックを信じて。磯野家マジックを信じて。

ほらほら、オシドリ夫婦。町内から心配のお電話が止まらないぜ。がんばろうぜ。

てな訳で、カツオなオナモミ、しばし実家に。
孝行は生きてるうちが華、ね。
親の介護ができるなんて、最高の娘の花道。
みなさんも通った人生の山場、がんばりますわ。



変わらぬ日常もまた、人を動かす力。
いつもの取材の波が、水曜から始まります。
おじゃもみ亭のユルユルアップはできるかな。おじゃもみ亭で、お会いしましょうね。
みなさんのアップも、愉しみにしております。
それにしてもタラオのパソコン、使いにくいですわ。
かしこ。


P.S. ナミヘイの青春記、よろしかったら読んでやってください。
過去記事より~~~「高田馬場ノスタルジック写真館~昭和アンソロジー」


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どんぐりを拾うゾ♪

やー、いい天気です♪気持ちイイ~。
どんぐり拾い☆日和でゴザイマス♪
家事を終えたら、盛大に、大人げなく、拾いまくってみたいとオモイマス。うしし。

しかし、blogramってオモシロイ。
書いた言葉を、検索キーワードで拾い上げ、どんな人か……を分析してくれるのですが
わたし「ガーデニングに興味がある人」にカテゴライズされてました。

興味ないデスョ(*m*)
枯らすのが得意なので、目で愛でるのみ。
明らかに、食うことしか考えてないでゴザイマス(*m*)

どんぐり、食べたい
黒石りんごでコンポート(と、呼んでいいものやら)
トムヤムの素でトムヤム君
秋鮭の白子・味噌鍋
ユーモレスクとクリームシチュー


…読書の話をちょこりと挟んで、見事に食うことばかり考えてオリマスナ。
や、猫写真やお散歩写真はおじゃもみ亭に回してるからダケド…(言い訳)
オマケにお洒落度、見事なほどにゼロ。ぶはは!

会社員時代「あんた、悩みとかないでしょ」ってよく言われまして。
「あるョ。『今日のオカズは何じゃらナ』って、毎日ぐるんぐるんだョ」と言い返してマシタ。
冗談のつもりだったのに、真実だった模様。ぶは、ぶは、ぶはは!


今日のお洒落度ゼロ料理はこちら♪ 「猫舌さんにおススメ☆キャベツ麺」
 キャベツしか見えませんが、温かいお蕎麦です

猫大好きなわたしは、超猫舌。熱いものも冷たいものも食べられマセン。
ちょっと温かい or 常温のものが好きです。
オナモミ的適温になるまで待って食べるのが常ですが、麺でこの作戦はNG。ノビテシマイマス。

ので。だいぶ硬茹での状態で火を止め、器の中で適温&いい茹で上がりにする…という方法をとってオリマシタ。
が。ヒトシの分も一緒に作る時はいいのですが(自分の分を途中で引き上げる)
1人分の時は、ナニブン食いしん坊なので、アチッ!とか言いながら固いまま食べてたりシマシタ。(ヲイ)

そこで食いしん坊のオナモミ、考えた。
ラーメン屋さんでキャベツ☆ドーンが美味しいのを思い出した。
何の麺にも、キャベツ、合うネ~♪ 和の麺には、千切りよりもちょっと太目がお似合いふう♪
好みの温度に下がるまで、キャベツをぶち込みましょウ、猫舌さん♪
氷を入れると味が変わっちゃうけど、生キャベツはその心配もないのデス♪

あああ、料理も家事も、趣味じゃないでゴザイマス。
ただの食いしん坊☆安く簡単にお腹イッパイになりたいだけ~( ´艸`)(見りゃあワカルネ)
検索キーワードでおいでになった方、本当にスミマセン( ´艸`)


P.S. (・◇・)/20:50
今見たら、「天気に一喜一憂するキャベツに興味のある人」になってました。わはは!合ってるョ~( ´艸`)



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どんぐり、食べたい

おじゃもみ亭に「どんぐり」を載せたら、お料理上手de謎の料理研究家のぼぶっちが連絡をくれました。
「シイの実は煎ったら喰えるそうですが、試してみない?」

 

教えてもらったリンク先を覗いてみると
「やめられない」「とまらない」「たまらない」などなど
かっぱえびせん的賛辞の言葉が、コレデモカ!と、並んでらっしゃーる。

どうやら、どんぐり小僧は、相当にウマイらしい。
自然な甘みが、じんわり美味しいラシイ。
いろんな作り方があるみたいただけど、トチの実や、銀杏よりは、手がかからない感じでアリマス。
煎るのがセオリー、茹でてもウマイ………ということは
ピーナッツと栗の間ぐらいの感じなのカシラ………と、ふくらむ妄想☆夢の味。

わたし
胃下垂de大食い。種系☆大好き。
じゅる………

食ってみたいどーーーーーー!( ´艸`)
激しく、食ってみたいでアリマスっ!
いや、食ってやるどーーーーー♪
拾って、干して、食ってやるゾ、どんぐり小僧♪
不味いマズイと噂の「カリン」より、俄然、ヤル気になりますナ。ぶほほ。

  

だがしかし。「穏やかな晴天」のはずの今日のお空は、どんより曇り。明日は雨。
いったい、いつ拾えばいいのカシラ。
………と、調べ続けていたら、もう夕方でアリマス。
子どもたちに拾い尽くされる前に、手に入れねば。
わたしのために、待っておれっ、待ってておくれっ、どんぐり小僧♪

ソレニシテモ、ココハ、ホントウニ、トウキョウナノデショウカ。
新しめの人工・人造ではあるけれど、大地の恵みがいっぱいです。
「仲良く遊んで、仲良くわけてください」的なことが、あちこちに書いてあるんですよ( ´艸`)

ま、完全なる手付かずの自然なんて、ほとんどないけれども。
「自然」と思っているもののほとんどが、先人が、育ててくれたもの。
いつかここで食えたら嬉しいな、とか、いつか咲いたら素敵だな、とか
考えながら植えてくれたり、したんでしょうね。うふ~。


●愉しげなこと●
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・・・( ´艸`)⇒

  
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