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オナモミ亭 ~猫柳一番地~

くも膜下から回復中の父のことを綴る場。

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高田馬場ノスタルジック写真館~昭和アンソロジー

ちっくんに見送られて… これをみつけたのは…




わたしの故里、高田馬場


●昭和、東京、江戸っ子、思い出、家族、PowershotG2●


とらちゃんと出会ったのはこの坂道



 
子ども1人でも入れたラーメン屋さんはたこ焼き屋さんになり、不二家は改装された
わたしたちを写すためにカメラを買い、現像したスズキカメラはそのままの姿
魚を釣ってみたいとせがんだ川は、少し綺麗になった
 



 
人影のない街に人の息吹がある 今に昔が紛れ込む風景 子どもの頃の空気と同じ
 



 
大小様々な神社に鳥居、お稲荷さんやお地蔵さんがあちこちに  歴史も、謂れも、様々
とらちゃんのお友だちも、静かに生きている
 
とらちゃんは、こんな大きさの子だった ごきげんよう、首輪をした子よ



わたしの生まれた家の塀も、こんなふうだった

東京大空襲の時、台風の目になって我が家は焼け残った
わたしは、その古い古い戦前から建つ家で生まれた



●昭和、東京、思い出、家族、PowershotG2●
☆イラスト~「もずねこ」さん☆リンクバナーから是非どうぞ

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■ ■ ■ 昭和アンソロジー ■ ■ ■
~ とても長いです。時間のある時にお読みくださったら…嬉しいです ~


 【一】

東京大空襲の日、父は弟と二人、自家製の防空壕にいた

あまりに長い空襲警報に「いつもより長いな」と外に出ると、一面が火の海だった
今までの空襲と桁違いであることは、まだ少年だった父にもわかった
大八車に家財と弟を乗せ、火の海を、瓦礫の山を、屍を越え
祖母の親戚の家がある千葉までひたすら走った
横を走る見知らぬご老人が「僕、力があるな、大したもんだ。生きて東京へ戻れるよ」と
声をかけてくれたという  何日かかるかと思ったが、あっという間についてしまった

鎮火の報が入ると父は、すぐに一人また走り、この街へと戻った
父は虫が嫌いな少年だった
田舎に行くと蚊に刺される、と  まだ真冬だというのに
五月蝿いお手伝いさんたちも好きではなかった  父は坊ちゃんだった

生真面目な少年だった父は、奇跡のように無傷だった我が家へ帰って眠ると
防空頭巾を被り、学生鞄をかけて、歩いてすぐの早稲田中学へと登校した
男女七歳にして席を同じゅうせずの時代のこと
男女別々の学校へ行きたいと願うのは、当時の子どもにとって当然だった
意思の通せる子は私学に通った  父はそんな子の一人だった


こんな日にも登校した真面目で間抜けな生徒はたった三人だった  先生はお二人おられた
先生方と力を合わせ、防空壕で亡くなった方をひたすら荼毘に付す
そんな「授業」が永遠のように続いた
見知った顔を、友の顔を、黙々と荼毘に付した


政治家を目指し、犬養首相の第二秘書官となり
五・一五事件を機に警察へと職を移し、戦局を迎え軍人となっていた祖父は
二・二六事件の調書の控えを、高田馬場の家に部分疎開させていた
その貴重な資料を、父は便所紙として使ってしまっていた
配給される紙よりも、ずっと上等だったからだ
「どうせみんな燃えてしまうと思ったのさ」 こうして貴重な資料は消えていく

「父上が帰って来られたら、叱られるな」
少年だった父は、それを考えて「困って大変」なフリをすることにした
壕で天へと上った友の苦悶の顔が、少し和らぐ気がした
「父上が帰る前に志願しようか」そんなことも考えたという
どんな時代でも、少年から少年らしさが消えることはない



父が志願の年齢に達する前に、戦争は終わった
終戦を海南島で迎えた祖父は、捕虜となった


 【二】

B級の審判が下るまでの四年間、祖父は海南島で釣りをしていただけに等しかった

祖父は秘書官出身ということもあり、警察でも軍部でも一貫して文官だった
それが最初の幸いではあったが、たまたま収容所に台湾赴任時代の知人が軍人としており
「この人はいい人だよ」と言ってくれた
たったそれだけの理由で祖父は、尋問すら覚えていないような優しい扱いを受けたのだ

運命とは、縁とは、不思議なものだ

知人に出会わなければ祖父は、収容所で命を落としたのかもしれない
文官であっても、A級となったのかもしれない
他の職業軍人となんら変わることのない、一人の明治の男でしかない祖父は生き残った
日露戦争でやめておいたならば、東郷元帥も英雄のままだったろう


どの命運も、祖父は黙って受け入れただろう  そう父は言う


戦前、長男は特別な存在だった
「大好きな父上」に、父はいろいろな話を聞きねだっている
祖父は戦後、戦前のことを語ることは殆どなかったのだが

祖父は真面目な政治家志望の青年だったという
五・一五事件で正義を貫こうと決意し、意思を持って特攻となった男だという
五・一五事件の遺恨といわれる二・二六事件を奇しくも担当することとなった時
正義は曲げるまい、貫いてこそ男、と心に誓ったのだろう…そう僕は思いたい  そう父は言った


 【三】

わたしに物心がつく前に、祖父は心臓発作で「ピンピンコロリ」であの世へ逝ってしまった

わたしが今、物書きの端っこにいることを、当然ながら祖父は知らない
わたしはアド専門の編集なので、厳密に言うと「物書きの端くれ」ではなく
「言葉選びのプロ」であり「言葉並べの職人」なのだが
もし生きて逢えたなら、是非ともインタビューをしてみたかった
真実は、祖父しか、知り得ない


婦人警官をしていた長女が、通訳をしていたGHQの軍人と結婚すると言った時
敗国軍人は何も言うことができぬ、好きにせよ  そう祖父は言ったという
それが唯一、戦後に発せられた戦争の影

次男である叔父は「姉ちゃんはパンパンか!いや、パンパン以下だ!」と言った
長男である父は、祖父を倣って無言で姉を見送った
しかし父の胸には  こんな思いが眠っていた
生きるために、子のために、パンパンとなった女性とは比べようもない恥ずかしい生き様
父上は職業軍人だったのだぞ  一般国民と我々家族は責任が違うのだ  と

アメリカへと渡った伯母は、いまだにお菓子や化粧品を送ってくる
日本がアメリカ同様に、何でもあって何でも買える国になったのを、何度帰国しても伯母は理解しない
祖父のせいで何もかも失ったと思っている彼女の中の日本は「貧しい敗戦国」のままなのだ
この伯母からわたしは、祖父と日本の悪口しか聞いたことがない


写真の中の祖父は、軍服姿の時でもなんだかお茶目な顔をしている
実際、家族には冗談もよく言う「愉しい父上」だったようだ
初の内孫である姉には、毎日おやつを買い与えて虫歯にした、甘い祖父でもあった
わたしがインタビューしたら饒舌に語ってくれたことだろう


 【四】

父は、高田馬場の家でひとり、終戦を迎えた

玉音放送を聞いて、学徒も先生も皆泣いた  父は泣かなかった
「貴様、何故泣かぬのだ、非国民!」そう級友がなじった
「これから益々日本が大変だという時に、泣いている貴様らが非国民だ」 そう父は返した

この時祖父は生死すら定かではなかった
後日B級戦犯となることで非国民と呼ばれても仕方がなくなることを父は知らずにいた
「父上が帰るまで家長として家と家族を守らなければ」そう思ったのだった


祖父を敬愛し、国政にたずさわりたかったという父
しかし、学問は途中でやめてしまった
父が国政にかかわることもなかった
頑張ったところで、幸せな国・日本が出現するとは思えなくなっていた

真面目な国家公務員「なだけだったはず」の「敬愛する父上」は、戦後、何もかも失った
戦局の中枢近くにいながら、命があるのすら申し訳ないともいえた
千葉の大地主だった祖母の実家も、殆どの土地を農地解放で失った
祖母の生業であったお茶・お花・縫い物・着付け・琴などを習う余裕のある人はいなかった
唯一残った、焼け残った高田馬場の広い家には
焼け出された人々が昭和四十年の声を聞くまで間借り人として住んでいたのだ
戦争は、終わってなどいなかった

しかし血は争えぬ  戦前の「国際」意識は通用しないが、国内には問題が山積みの中
二度と表舞台に立てない祖父に代わって、国民を守りたいと思った父は
警官、後にできた自衛隊に入ろうとした  が、いずれも体格審査で落ちた
体躯のいい祖父には似ず、背ばかり伸びた痩せぎすな青年だった


頑張る場に行けないなら、筋金入りのやる気なしになってやろうと誓った父は
銀座の喫茶店で珈琲を学び、GHQ相手にウクレレを弾いた
何故一足飛びにそこまで思考が飛躍してしまうのか  これだから坊ちゃん育ちは困る
昭和二十年代に月二十万円は稼いでいたのだから呆れてしまう
しかし本来は国政を目指していた青年にとっては「意味のない恥ずかしい金」
全てが極上のスーツとタバコに変わった
いったいどういう思考回路なのか、我が父ながら相当な偏屈者と苦笑してしまう


 【五】

父は自身を「筋金入りのへそ曲がりで筋金入りのやる気なし」と自負している

自慢げにこう言うところを何度聞いたか、数え切れない
我が姉に言わせると「筋金がつくと何か偉いの」となるのだが
よその父上たちとはベクトルが違うが、我が父のやる気は相当なもんだと、わたしは思っている
へそ曲がりであることは、間違いない  変人レベルの聖人君子である

早稲田の、父のひとつ下の学年には永六輔さんなど著名な方がたくさんいるが
父の同学年に大した著名人はいない
戦争が落とした影、戦争から生まれた光は、昭和七年・八年が境目なのか
戦前、十五歳は立派な大人だったのだ
何かを生み出す側の者としての苦悩もまた、一人前だったのだ


わたしの父は、昭和七年生まれ
祖父の任地先の台湾で生まれた


六輔さんの著書を読んでみると
「面白い大人」になった方たちの親御さんは、どなたも職業軍人ではない
胸を張って「戦争に加担していない」「戦争が終わってよかった」と言えたか言えなかったか
そこが「やる気なし組」と「戦後謳歌組」とを分けた明暗と言えるのだろう

親や家と自分を切り離して考えるには、昭和一桁の男はあまりにも不器用だ
父上大好き  とすら言えなくなってしまった少年たちの心を思うと、切ない
しかし、赤紙一枚で命を捧げるしかなかった方々を思うと、何も言えない
比べることすら赦されない そんな切なさは切なさのうちに入らない  そう父は言った
B級・没収という禊…とまでは言えないかもしれないが
法的なけじめをつけるチャンスがあっただけ、祖父も父も幸せなのかもしれない
そんなふうにも思う


台湾で生を受けた父は、一応江戸っ子の端くれと言えるのに火事が好きではない
警察、自衛隊、と受けた時、消防署は頭になかったという


 【六】

男がいつまでもふらふらしていてはいけない  と、祖父は父を郵便局に勤めさせた

表舞台から消えた祖父も、そのくらいのことは父にしてやれた
郵政も国家公務員なのだよ、国民のためとなれるのだよ  と
青春のモラトリアムにも「可哀想な軍人の息子」にも飽きていた父は、素直に勤め始めた
父が長く勤めた郵便局は、偶然の悪戯か、巣鴨プリズンの跡地だった

好きになった面白い女性の父親は「本郷の東条さん」と呼ばれるほど、東条元帥に似ていた
それがわたしの母であり、もうひとりの祖父だ

指物師の末娘と軍人の長男が結婚するなんて、戦前ならありえない話
実際、母は義妹にそう言われたことがある
アメリカに渡った長女もそうだが、父の姉妹ときたらどいつもこいつも
いちいち鼻につく物言いをする変人ばかりでどうにもこうにも好きになれない
お陰で「戦前生まれで元は名家」などとのたまう女性に出会うと、わたしは身構えてしまう
あの戦争がなければ、わたしが生まれてはいないことは間違いないようだ

職業軍人だった祖父を持つ父方の親戚一同に、戦争で命を落とした者はいない
本郷の母の家族は全てを二度消失し、赤紙で召集された三人の息子のうち二人を失っている
次兄は軍事教練の体罰が元で、戦地に赴くことすらなく病死
長兄は七年のシベリア抑留から無事生還したのに体を壊して病死
特攻隊員となったが飛び立つ直前に戦争が終わったため、三兄だけが老人となれた

息子を亡くした本郷の祖母は、煙草を吸うようになった
キセルに火をつけるのが燈明代わりになるのだそうだ
燈明に火を灯すと泣けてくるが、煙を吸うと泣かないですむ  と
母は、強くなくてはならない  昭和も母として生きる者に、泣いてる暇などなかった

おばぁちゃんはどうしてたばこをすうの? と訊ねた小さなわたしに
「何にだって理由ってもんがあるんだよ」 そんなようなことを本郷の祖母は言った
明治の女性で煙草を吸う人は珍しい 他の方は、煙草すら我慢なさったのだろう
そう思うと、高田馬場の家の子孫でもあるわたしは、あまりの申し訳なさに天を仰ぐ

そして、母方の長子である伯父
彼がシベリアに抑留されたということは、中国戦線にいたことを意味する
あった・ないと、現在も侃侃諤諤と議論されていることの幾つかを「あった」と母は聞いている
母は、未だにシベリアものの本や映画を見ることができない
伯父は、毎晩浴びるように飲まずには眠れない人だったそうだ
徴兵で、たまたま、配属された戦線が中国だったのだとしても
酒で己を正当化せずには、伯父は眠ることができなかった
深酒のせいで肝臓を病んだことにも気づかず、指物業を継いでいた伯父は、あっけなく逝った

高田馬場の祖父は、太平洋戦争は知らない そう言ったことがあるそうだ
「私が戦ったのは、大東亜戦争だったのだ」と
太平洋戦争か、大東亜戦争か  その答えが出るのは、平成の次の時代なのだろうか


わたしは、小二の時の
「ご両親に戦争の体験を聞きましょう」という宿題のために、これらの話を父から聞いた
折りあるごとに考える、ひとつの根っことなった

 【七】

ネットをするようになって初めて知ったことがある

社宅ができて引っ越し、わたしが少女期を過ごすことになった埼玉の町は
全国でも珍しい非常にリベラルな地域だ  ということだ

山も川もないせいで、昭和も後半まで人の住むことのなかった場所に突然出現した「小さな東京」

高度成長期、満杯になった東京から若い世代が大量に埼玉に流れ込んだ
マイホームを求めて  または、社宅で仕方なく
祖も、仕事も、東京に持つ「埼玉都民」である

近年東京に来た方はご存知ないことだが、埼玉県民が東京に溢れているのはそういうわけだ
東南に飛び地のように「西部地区」が位置する理由もここにある
西部地区は、他の地区より遥かに後にできたのだ

険しい山も谷もないかわりに、川もなければいくら掘っても水は出ない
近代の技術なしには生きていくことの不可能な猛烈に乾いた土地だ
昭和40年代に出現した西部地区のどの町にも、埼玉に祖を持つ人は殆どいない

埼玉の「小さな東京」は、自身も東京で物心をつけた23区に本籍を持つ子どもが99%を占めていた
地価高騰のない東京都下から引越してくるには魅力に乏しいしその必要もない
地方都市に比べても遥かに不便で、道路すらできていなかった
あまりの人口増加に、電話の設置も追いつかなかった

砂塵の舞う乾いた町から親たちは都心に勤めに通い
どの家も、月に一度は親のお気に入りの「元・地元」のデパートへ行った
三越派・高島屋派・伊勢丹派・東急に京王…
贔屓のデパートの名で、聞かずともだいたいの本籍地までわかる

できたばかりの町には商店だけでなく医者もいなかった
生まれた場所に戻っては歯医者や医者へとかかった
母親たちは、美容院すら「元・地元」のお気に入りに通う人も稀ではなかった
1年生になると、友だち百人作る前に下の子を連れて子どもだけで故郷の街へ行くのが慣わしだ
引率者として電車に乗った経験のない子は「いっちょまえ」ではなかった

井戸を掘り当て、乾いた土地を江戸時代に苦心して開墾した極僅かな人々の末裔を「地付きさん」と呼んだ
地主さんや農家さん、江戸時代からなぜかある人形屋さん等は地付きさんである
地付きさんのお婆さんの一人称は「オレ」だ

新生埼玉人、別名「埼玉都民」は、地付きさんを敬い、共に新しい町を作っていった
いつの日か、東京に帰ることを心の隅で願いながら
離れたからこそ、近くて遠い故郷東京を大切にしている町には
今でも生粋の江戸っ子然とした老人が、我が父をはじめ、ごろごろしている
口数少なく笑顔のいいご老人は「地付きさん」だ

都心まで三十分もかからないこの町に、戦争の記憶は殆ど眠っていない
貧しい農村だったこの町に、爆撃は一度もなかった
あまりの貧しさに、疎開の受け入れ要請すらなかったのだそうだ


 【八】

こういった埼玉西部地区と東京の関係を知らない人は、新東京人であって江戸っ子ではない
と、わたしは考えている

平成の地上げで、祖父母の土地は皆新東京人のものとなった  しかしそれもまた、仕方がない
小さな昭和の歴史が消えていくのは、少々残念ではあるが

江戸の時代から、江戸は受け入れる場であり、江戸っ子は受け入れる人である
全てが集い、全てが出て行く
迎え、受け入れ、押し付けない、大切なことは胸の中に  それが江戸っ子魂

江戸っ子は、お気に入りを変えるようなことはしない  人を小馬鹿にするようなこともしない
人も流行も流れていくもの  江戸に根付くことは稀なのだ
新東京人にも、是非ともこういう点だけは受け継いで欲しい  そう密かに願う
趣を感じて受け入れ、愛を持って見送る  それが江戸っ子の常
見送られる者の中に江戸っ子そのものが入ることも、また、ある


今の東京に、江戸っ子魂はどれほど残っているのだろうか
自称湘南ボーイの都知事は、これらのことをご存知であらしゃるのだろうか

都知事がよく口にする嫌な言葉「あなたはよく知らないだろうけれど」

こんな言葉を口にしたら、江戸っ子ならば
隣のオヤジに往復ビンタを食らっても黙って頭を下げるのが当たり前だ
見知らぬオヤジに小突き回されたとしても、親も一緒に頭を差し出すってェもんだ
人を小馬鹿にするのは馬鹿にするよりよくないこと  そう教わっている
一見「馬鹿にする」と見える行為は、銃刀による解決の許されない時代の
真っ向勝負である場合があるんだ、と  馬鹿にされたと思う前に考えろ、と

江戸っ子は口八丁  しかし口汚い言葉や笑いの出ない厭味は「忌むべきこと」である
洒落の利いた口喧嘩で周りを笑わせて落ちをつける、これぞ江戸の華

「あなたはよく知らないだろうけれど」とのたまう知事に江戸っ子魂がないことは決定項
江戸も東京も同じだ  単なる首都であり特別な住人などいていいはずもない
江戸幕府を開いた家康殿は、ご存知三河の人  江戸の歴史は浅い
江戸前の気風を身につけたら誰だって江戸っ子なのだ

しかし江戸に住んでいるだけでは似非江戸っ子の三一(さんぴん)野郎だ
江戸っ子魂のない人が都知事に選ばれていることから鑑みるに
似非東京人が溢れていることは、残念ながら間違いない

名実共に都民に返り咲いたわたしはこう言うこともできる  返り咲いたと言うのすら口惜しい
「てめぇら、どいつもこいつも、江戸の風上にゃあ置いとけねえ!おととい来やがれ」
おととい来やがれとは、来るなの意
似非東京人の好きなようにはさせねぇ!こちとら江戸っ子でい!てなもんである

ペリーの来航が浦賀でなく仙台あたりであったなら、近代日本はどんな世界へ漕ぎ出したろうか
と 都知事の偉そうな物言いを見る度に妄想する
犬養さんが生きていらっしゃったら「公僕は国民のために尽くす者である」とおっしゃったろうか
その隣で祖父は「そうだ、そうだの冷やそうめん!」と合いの手を入れただろうか
妄想は時折とまらなくなるが、戦犯の末裔に政治の話はご法度故  以上


しかし、埼玉の西部地区で育っていなければ、ここまで東京を愛していないかもしれない
日本人であることすら自覚していないかもしれない
大人しくて働き者の埼玉の「地付きさん」とあの乾いた土地を、同じくらい愛している
新参者 などと誹られた記憶は、ひとつとしてない


全てがノスタルジック  マイノスタルジー


 【九】

わたしの通った千五百人の子どもが集うマンモス小学校は、県のモデル校のひとつだった

全国から優秀で味のある先生が集い、ただの公立校にもかかわらず、愉しい授業だった
しかし四国からいらした団塊の世代の担任の先生は
わたしたちの世代の親たちの殆どが、戦争の記憶のない人だということを忘れていた
「ご両親に」が付いてしまった段階で、宿題としては失敗だったろう

結果、授業はわたしのひとり舞台になってしまった
わたしの父は、クラスメイトのお父さんたちの親であっても可笑しくはない歳だった

誰も知らない、でも「知っている人の親」が経験した体温のある戦争の話しを
みなが息をのんで聞いてくれた  質問もたくさん出された
話は終わらなかったので、次の時間も「わたしの授業」になった

先生は、こんなような意味のことをおっしゃった
「何が正しい、何が真実か、そういうことは決められないものかもしれないね。
君が生まれてよかったね、みんな生まれてよかったね」

先生のお言葉は、小さかったわたしの胸の奥に届いた
みんなそれぞれに、バックボーンがあるのだ  それがわかった

どんな意思も思考も、わたしは否定しない
その人の生きてきた軌跡が、その祖の生きてきた軌跡が、意思や思考となるのだ
みんな違って、みんないい  後年、金子みすずさんのこの詩は、わたしのお気に入りとなった


父は、いったいわたしに何時間話してくれたのだろうか  それはよく覚えていない
遅く生まれた子でよかったと思った  それはよく覚えている
ちょっと得した気分だった  それもよく覚えている


 【十】

埼玉の地から巣鴨プリズン跡地に勤めながら、父は地域活動に熱中した

新しい町は、自分たちで礎を作らなければならなかった
父の口癖は「公僕の休日は国民のためにある」だった

父は無償行為が大好きだ  四月一日は、エイプリルフールではない
我が家では父が「年度最初に休む日」だった  街づくりもそこが新年度だからだそうだ

そのせいで、限りなく十割に近く上位校へ行く地域だというのに
わたしたち姉妹は、高校を出てすぐに働かねばならなかった
我が家に生まれた以上仕方がない  親がいなければ生まれてすらいないのだ
しかし長子である姉の苦労は、そこいらの親の比ではないかもしれない

昭和が終わりに近づいても、我が家の主食はサツマイモだった
サツマイモやニンジンにほうれん草…いろいろな作物を地付きさんがくださった
規格外の野菜が流通できない時代が、やってきていた
それでも、上昇志向と努力に支えられた昭和が、いつまでも続くような気がしていた


わたしは「わたしがわたしであることの理由」を、常に頭の隅で追いかけた
姉もわたしもそれぞれに人生を泳ぎ、愉しく中年の粋となった
「父さん、お金は天から降っちゃアこねぇよ、額に汗して稼ぐんだよ」「宵越しの金はいらねぇよ」
そう言いながら、あれが欲しいこれが欲しいと日々呟く  買ってあげる係は、もちろんわたしだ
仲良しの姉は、子育てで大変な最中  体の弱かった弟は、遅咲きの大輪として頑張っている

そうだ

父は、子どもの頃、かかりつけの医師に「十歳まで生きない」と言われた
十歳を過ぎると「二十歳まで生きない」と言われた
二十歳を過ぎたら「三十歳まで生きない」と言われた
三十を過ぎてようやく、藪医者なんだと気づいたという

どうやら長生きするらしいということにも気づいた父は、ようやく恋をしてみる気になった
生きていられないのに子孫を残しても仕方がない  そう考える昭和一桁だった
自分からした最初の恋で、父は母と結婚した

姉が生まれた時、父は既に「ナミヘイ頭」の老人風で、既に青年の域でもなかった
弟に至っては、いつでも必ずお祖父さんと孫と言われた

如何にお気に入りを大切にする江戸っ子と謂えども、医者は変えるべきだ
診たてで夢や希望を失ってしまっては元も子もない  あやうくわたしたちは生まれないところだった
同じく「長生きしない」と言われ続けた弟も、そう簡単に死にそうには見えない
医者は政治家より嘘つきなのかもしれない  これは今後、調べてみることにしよう


 【十一:了】

家族の根っこを知りすぎているわたしは、外国を気軽に訪問することができずにいる

江戸っ子はあけっぴろげで隠し事ができないし、筋を通すのが好きだ
台湾への訪問なしに、他国を訪れたくはない
訪れたら、訊ねられたことに渾身答えたくなるが、語学の壁は厚い  それに苦悩するのも嫌だ
運命の不幸で米国の伯母の家に行くことになってしまった時には
伯母を通して、アメリカが嫌いになっただけだった  ますます日本が好きになっただけだった
語学を習得する気が全く起こらない  四字熟語の方が圧倒的にわたしには面白い

日本で、この東京で、まだ知りたいこととやりたいことがたくさんある
アイデンティティも眠っていない外国に行っている時間が惜しい
袖すり合うも他生の縁、そんなことを考えるきっかけが、あまりにも多すぎた


ネットは、とても便利で嬉しいツールだ
外国どころか、関東全域すら、第二の故郷埼玉全土すら訪れたことのないわたしに
いろいろなバックボーンを背負った想いと行動を見せてくれる
祖を愛する人が、わたしは好きだ
それがわたしと全く違った祖であったとしても

みんな違って、みんないい
みんな一緒であったなら、そんなつまらないことはない


いろいろと方法を変えて検索してみたが、祖父の名はどこにも載ってはいなかった
祖父の写真を、そのうち探して載せておいてみたい
「うちにもその写真があります」という方と出会えたら 面白いお話が聞けることだろう

二時間で書いたこの文章、どこか間違っていないだろうか  少々心配である



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P.S.....................................あとがき

仕事で真面目なことを書きすぎなので、ブログで真面目なことを書くのは非常に稀です。
半年に一回が限界…そして…書き出すと…長い…長文が主な仕事なのでお赦しください。

小さいうちにこんな話を真面目に聞くと、考え事の好きな大人になってしまいますね。
物思いに耽っては、ひとり「ウン、これだ♪」などと悦ぶ毎日(笑)
思えば、あの父への質問が、人生初の取材と言えるのでしょう。
人の話を、自分の選んだ言葉で、みんなにわかるように伝える…今の仕事と変わりません。うふふ。

万人を串刺しにする「普通は」というのが「変だ」と気づいたのも、この宿題によって。
日常という意味なら大好きなのですが、我慢しろという意味、小馬鹿にする意図
そんなものが見える時の「普通は」は、とても嫌いな言葉のひとつです。
そういう子どもの「ドシテ心」に応えてくれる大らかな大人たちに囲まれ
とても幸せな昭和の子どものひとりだったのだろうと、しみじみと思います。

育った場所・周りにいた大人たち…
いろんな要素によって、其処此処限定の約束事としての「普通」が生まれる
そんなふうに思います。
ネットで細部に渡って繋がれるようになった今、日本としての「普通」は
これから作られていくのでしょうね。


普段の生活でもネットでも、一番困る質問が「東京の人?」だったりします。
二度と会うこともない人には「はい、東京です」と答えますが
お付き合いの続く人には、江戸っ子と東京人の違いやら、埼玉都民と埼玉県民のことやら
こういういろんなことを話したくなってしまうのです。
ネットで「こんな意地悪をされた」「東京の人は冷たい」と言われているのを見ると
「それは東京人じゃありません!似非東京人ですよ!」と言いたくなってしまうのです。
ネットってまだよくわかっていないので、書き込みはしないですけどね。ふふふ。

お正月、お笑いのハイキングウォーキングのネタに
「池袋は埼玉県民ばっかり!ウザイ!」というのがありまして
当たり前だよ、池袋は埼玉都民の聖地だよ、と(笑)
(池袋から埼玉に伸びる電車は、どれも元々、人ではなく肥料を運ぶための肥溜め列車です)
調べてみたら、ツッコミの松田さんは富山の方、ボケのQちゃんは新潟の方。
これは埼玉と東京の関係を、正しく教えたらんといかん、と(笑)


お笑いのU字工事さんのネタで「埼玉なんてェ~夢みてぇ!」というのがあるんですね。
ボケ役の卓郎さんのブログにも、埼玉での愉しい思い出がちょこりと綴られています。【⇒卓郎さん】
高度成長期、埼玉の開発ラッシュを支えてくれた北関東からの出稼ぎの方々が
お国に帰って「夢みてぇなところだよ」と伝えてくれたのだろうと嬉しくなってしまって。
みんな「うちのお気に入りのデパートが一番!」とばかりに、とびきりの洋服を着てましたから(笑)
(元々好きだったU字工事さんが、もう大好きになってしまいました(笑))

みんなローンで洋服どころではなかったはずで、昭和ももう終わろうというのに
サツマイモが主食だったのはけしてうちだけではないはずですが
伊達なお人にお国はどこよと訊ねれば、ハイ、江戸でごさいと答えます~ドンドン。

外国人がとても珍しく、都心でも見かけることすらなかったあの頃。
ヤスキヨや巨人阪神の話す大阪弁が外国語のように面白かったあの頃。

工事現場の陽気な北関東のおじさんやお兄さんは、最も愉しい「身近な芸人さん」でした。
半分以上理解できない言葉も、歌いながらあっという間に家々を作る器用さも、全てが格好よかった。
新しい工事現場ができると、こぞって見学に出かけたものでした。
「あぶねぇよ~」と言いながら、鈴なりになった憧れの瞳を
おじさんたちも愉しみにしていてくださったようです。
お国でお留守番をしているお子さんや小さな弟妹と、重ねていらしたのでしょうね。

新しくできたおうちには、また東京から新しい友だちがやってきました。
おじさんたちが帰ってしまった寂しさを埋めてくれる、面白い子や可愛い子が。

欲しいナと呟いた綺麗なタイルやガラスを、こっそり工事現場に置いていってくれたおじさん
「嬢ちゃん、笛、上手ぇ(うめぇ)ねぇ」と褒めてくれたおじさん
みなさま、お元気でお年を重ねていらっしゃるでしょうか。
埼玉西部地区は、東京の飛び地であって埼玉でもあるという可笑しな町。
そんな町々を「夢みてぇ」と伝えてくれたあなた方の心が、夢のように美しい。


あなたの根っこを、愛してください。
そして、困った時には「此処だけが全てじゃない」と。
地球のどこかに、誰かにぴったりの居場所が必ずあるのです。
そこが、生まれたり育ったりした場所ではないことも、ある。

わたしの居場所は、東京と、埼玉です。
好きな球団は、ライオンズと…阪神タイガースです(笑)



オナモミモドキをみつけたのはここ。


また、どなたかの、昭和の想いが消えたのでしょうか。




長い長い話、お読みくださってありがとうございました。



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 【似非東京人の見分け方】

その一:「どこに住んでるの?」に区名や地番で答える  
      電車社会で地名変更の多い東京では、駅名で答えるのが常
      どこに住んでるの=次はどこで遊ぼうか
      集い易いビッグステーションはどこか…を知るために聞いているのである

その二:「知らないのぉ」を連呼する
      新しいモノやコトが続々と登場する中、全てを知ることは不可能である
      足を運んでみては大したことがなくがっかり…というのは代々経験している
      面倒で残念な経験を繰り返しての「お気に入り傾倒」なのである
      知っている自分は偉い⇒相手を小馬鹿にする⇒田舎侍or田舎姫
      「小馬鹿にするのはトンチキだって何回言ったら判るんだ、このトンチキ!」と
      頑固親仁にすっぱたかれてしまいなさい(*m*)

その三:「フツーはさ」を連呼する
      江戸の時代から東京は「よそものの街」であり、多様な祖を持つ人の集合する「場」である
      万人を串刺しにするフツーなどというものは存在しない
      東京っ子はおまわりさんが好きだった  フツーを決めていいのは司法だけだからだ
      フツーという名のローカルルールで、人を裁いて序列をつけようとしてはイケマセン
      「粋じゃねぇなあ…あんた、国にけぇった方がいいかもしれねぇぜ?
      粋がわかんねぇと、東京はつまんねぇせめぇだけの街だぜ。
      いっぺぇあるモンの中から趣を拾ってちょちょいと愉しむ…それが粋ってもんでい。」


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≪HN≫
onamomi*
猫5匹・亀2匹・夫のヒトシ(仮名)と東京の空の下で生息中。絶滅危惧職種のアド編集のへっぽこ妻。本業は孝行娘( ´艸`)

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●別館的本館●おじゃもみ亭●

くも膜下から復活中の父ナミヘイの介護が生活の軸の今日この頃。あれができるようになった~こんな表情が戻ってきた~と、毎日バシバシ写真を撮る…ついでに、オカシナ写真を、こちらに。

         

HNのオナモミは、子どもの頃から好きなもののひとつ。投げて、くっつけて遊ぶ、愉しいあのイガイガ。だがしかし。名乗ってから知る☆花言葉。≪怠け・頑固・粗暴≫…ヒドイヮ!ぶほー!

◆登場人物1:わたしの家族◆
リアルサザエさん一家でゴザイマス。
男性はナミヘイ頭で「バカモン」と威張るのが得意。女性はみんな財布を忘れて本人だけが愉快じゃないタイプ~。
・わたし…オナモミ(カツオ☆ポジ)
・夫…ヒトシ
・わたしの父…ナミヘイ
・わたしの母…フネモドキ
・わたしの姉…サザエモドキ(隊長)
・わたしの弟…タラオ
・姉の旦那さま…マスオ兄さん
・姉の息子(甥)…タラオ2号
・姉の娘(姪)…ワカメ
・ピスたちお…うちの五匹の猫
 ピ…ピッ君(ぴ助:オス)
 ス…スミちゃん(寿実太:オス)
 た…たーまん(本名:メス)
 ち…ちっ君(ちぃ作:オス)
 お…おちゃびん(ライオっさん:オス)
・銭がめーズ
 ゼニオ君&デコたん

◆登場人物2:ヒトシの実家の人々◆
夫のヒトシは、植木等さんの暢気なサラリーマンと寅さんの中間みたいなヤツで…ぶほほ。婚家はまさに≪寅屋の面々≫…ぶほほ。うーんと面白いことダケ、たまに。
・夫の父…ヒトシずパパ
・夫の母…ヒトシずママ
・夫の妹…サクラさん
・妹の旦那さん…ヒロシさん
・妹夫婦の双子の息子…ミツオーず

         

◆わたしの本棚でご紹介した本たち

母が長いこと子ども向けの図書活動をしておりました。新しいものが届く度に夢中で読んだ、愛しい愛しい本たち。何度も何度も読み、大人になってから買い求めたもの・いただいたものなどを、思い出話の中で少しずつご紹介しています。いろいろな訳者や版で出ている本は「この版がイチオシ!」とわたしが愛したものをチョイス。雰囲気が微妙に、そして絶妙に違うのです。是非、まずは図書館で借りてみてくださいな。
シアワセな時間を、お約束します。

         



         

◆お世話さまです(*v.v)。template◆
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≪CriCriさん≫
オナモミ、浮気をしない人( ´艸`) 時々CriCriさんの別作品でお着替え。アレンジしやすい素敵な仕様で、カスタマイズも愉しいのです( ´艸`)

◆お世話さまです(*v.v)。illustration◆
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≪もずねこさん≫
絵本のような優しい温もりとタッチにクラクラ☆どこか不条理な空気感もたまりません。カスタマイズに記事中に…モリモリ拝借中( ´艸`)
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≪バーナンの白黒さん≫
味のあるドコニモナイ絵。キリッと書けた時しか使いたくない素敵味。素材も素敵ですが、その他のページもとっても和めます。特に、蛇さんマークのところがとってもお気に入り( ´艸`)
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≪埼玉雲丹屋図案社さん≫
ほのぼのなのにインパクト大!吃驚なバランス感覚がたまらない。いつもいい出汁、出ています。
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組合せを考えるだけで愉しくなれる多彩な素材、豊富なバリエーション。みィんな素敵にアーキミックス風味。
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ご存知、優しいタッチで大人気の老舗。背景拝借中♪
blogramこっそり会員( ´艸`)
忍者は静かなイイトコロ。そこがとってもスキナトコロ。だけど時々静かすぎるような気がして、こっそり参加。こっそり☆ず☆みーん、ランキングとかどうでもイイってこと( ´艸`) 自分がよく使う言葉が分析されて、オモシロイデス。

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でっきるっかな、でっきるっかな
はてはてほほー、はてふふー♪
よくワカリマセンが…
わたしは1.0が好き(そういう問題?)
わたしは見たことがないのです          携帯電話はもっぱら通話受信な生活
携帯で見ることを…全く…想定してなかったり…します…ゴメンナサ~~~イ( ´艸`)
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あっさりですが

読ませて頂きました。
長い、真剣な文章もまたいいですね。
祖を愛する、なんか重い言葉です、ボクには。
ボクは、基本的に、グレイを気取りたいので
アイデンティティなんて曖昧なモノ
なるべく避けたいのですが、
それがまた難しいのも事実です。

ところで、日頃から、なにか発する仕事っていうのは
大変な仕事なんだろうなって改めて感じました。

年数度の長文また楽しみにしています。
  • スギモッコs1GO! さん |
  • URL |
  • 2009/01/29 (22:52) |
  • Edit |
  • 返信

Re:あっさりですが

うぉぉぉぉぉぉ~初日にコメントがつくとは思いませんでした!ありがとうございます~( ´艸`)企業リポートを書く時はこんな文体なので、書き出すとこちら系の方がさらっと書けてしまうのです。しかし雑誌と違って文字数の縛りがないので、止めどころが…。そして駄日記の時は、フザケるのの止めどころが…。「これだから江戸っ子は両極端でいけねぇヨ!」( ´艸`)

うふふ。アイデンティティ、曖昧ですか。そんな感じはしないなァ( ´艸`)
グレーでいること=赦しの幅を広く持っていたい…ということだと感じました。
わたしの根っこ、ものすごく見えてしまっていて。これほどはっきりしたものがないっていうぐらい根を張ってしまっています。だもんで、それ以外のことを、理解しているのか、切り離して実は全く受け入れていないのか…それをぼんより考えるのが「グレーな瞬間」ぐらいです。あれもあり、それもいいね、でも、わたしはコレ…みたいな。「おうおう、白黒ハッキリしようぜ、今すぐにだ!」みたいなこと、会議でもよく言いますね。父は迷ったら「ハイ、じゃ無し!オシマイ!」と癇癪をおこすタイプで、わたしはジャッジの早い人になりました(笑)

>大変な仕事なんだろうなって改めて感じました。
あはは~。どうだろう。わたしは大変だと思ったことはなくて。アドは人を繋ぐモノと作業の集合だから、人の波で生きていることを感じていると自然にゴールが見えるというか。芸術だと思ってアドをやると大変なのかもしれないですね。長文を書く時って、いつも家族のことばっかりなんです。どんだけ家族が好きなんだよと、自分でも時々アホかと思います( ´艸`)ありがとうございましたっ。
  • from onamomi* |
  • 2009/01/29 (23:45)

長文

お疲れ様でした~~
実は、私の父も、昭和7年生まれなのですが~
父の一家は、東京大空襲で、東京の下町から、焼け出されて、千葉に来たのです~
母は、千葉の人ですが~父には、江戸っ子訛り(ヒとシの発音が逆?)がありますデス~^^
私は、子供の頃から、父の、戦中戦後の貧乏&苦学話?を、何度となく聞かされてきましたが~~
(確かに、頑張った人なのは認めます~^^)
でも、その背景に~祖父が軍人だったか否かが関係するとは、考えたことがなかったです~
戦後、祖父は、余り働かなかったようで~父は、勉強するにも、働きながら、という選択肢しかなかった模様ですが~~
改めて思い出してみると~祖父のこととか~記憶が曖昧なところもあり~~いつか又、父に聞いてみようかなと思ったり…
話すいいきっかけをいただいたような。。。^^
  • デボラ さん |
  • 2009/01/29 (23:09) |
  • Edit |
  • 返信

Re:長文

>実は、私の父も、昭和7年生まれなのですが~
デボラさん、どっぺる、どっぺる~!どっぺる続きの今日この頃ですね( ´艸`)
焼け出されて千葉…そうでしたか。しかし焼け出されないと母上に父上はお会いになれなかったとも言え…これもまた、ひとつの奇跡なのでしょうね。
坊ちゃん育ちの父は、NHKのアナウンサーも真っ青の綺麗な標準語を話します。下町育ちの本郷の祖父母はヒとシが混じっていますが、母は疎開先で、下町弁が直ってしまいました。ヒとシの発音ができないと笑われたからです(笑)

>(確かに、頑張った人なのは認めます~^^)
>でも、その背景に~祖父が軍人だったか否かが関係するとは~
職業軍人であったか、赤紙で召集されたか…それもひとつの明暗を分け、別の心の傷を作ったことでしょうね。信じて邁進してきたことが全て犯罪行為となった職業軍人は信念に対する苦悩があったでしょうし、赤紙で召集された方は、ほんとに、配属された部隊の運・不運でしかないとしか言い様がなく…。
ルー大芝さんが、お父様がシベリアに抑留されていたのを知らなかったと号泣されている番組を見たことがありますが、意思なく人を殺す、殺さねばならないという状況、やりたくなかったことを問われる状況…貝にもなりたくなる…と。
シベリアに七年抑留された母方の叔父は、せっかく帰ってきたのに深酒がたたって死にました。飲まずには眠れず…戦後に戦死されるとは思わなかったと、祖母はどの時よりも泣いたそうです。

そう、父上に是非聞いてみてください。父上しか知りえないいろんなお話がきけますよ。あの時どうしてこれにすごく怒ったのか…とか、いろんなことが繋がったり。ふふふ。悲しい記憶は、嬉しいことも連れてきてくれるみたいです。
  • from onamomi* |
  • 2009/01/30 (00:07)

無題

なぜかほろっと感動しました。
私の居場所は浅草と宇都宮になりました。
好きな球団は我が草野球チームFUNKSです。
なんちゃって!
  • bdfkf518 さん |
  • 2009/01/30 (14:44) |
  • Edit |
  • 返信

Re:無題

宇都宮~!栃おとめ~!U字工事~!きゃっほー!( ´艸`)
浅草の派出所には、ちょっと前に同級生が勤務してて仰け反りました(笑)
長い長い、長すぎる話、お読みいただいてありがとうございました(*v.v。)
いろんな人のいろんな想いが、いろんな街角に眠っている。
同じ想いが違う場所に眠っていることもまた、ありますよね。うふふ。
巨人の大ファンだったのに…ぶほ。これお読みになったことありましたっけ?
http://onamomitei.blog.shinobi.jp/Entry/45/
  • from onamomi* |
  • 2009/01/30 (16:13)

無題

読んできました。
私も高校は野球がやりたくて、甲子園行きたくてそれだけで受験しました。

やりたい事はやってみる。そこから未来に広がる、繋がるものだと、私も同感です!

そろそろ巨人ファン復活しても良いのでは?!
  • bdfkf518 さん |
  • 2009/01/31 (13:28) |
  • Edit |
  • 返信

Re:無題

うふふ~血の汗と涙の向こうに、きっとイイモノが待っているって、心の底から信じてましたもんね( ´艸`)信じてないと、ただただ辛いんだヮ、きっと…て、無心に信じてたから想像ですけど。その時しかできないことって、絶対にある。

>そろそろ巨人ファン復活しても良いのでは?!
ぶははは!「ナベツネがイッタら考えるヨ~」と新聞屋さんには言ってますけど、負けが気になるって自体、ファンなんでしょうね( ´艸`)ただねぇ…今の巨人に魅力的な選手がおらんとデス。金本、大好きなんですよ。ぶほほ。
  • from onamomi* |
  • 2009/01/31 (20:07)

遅まきながら…

実のところ~以前に何度かここにコメントを書きかけては消す~てなことをしていたんですけどね~なんか色々な思いでまとめきれず~。

話題からちょっと離れるのだけど。
私は私自身が大好きです。かつては自己嫌悪だとか、ま、思春期にありがちな色々な事で嫌悪していた時代もあるのですが、21世紀に入るちょっと前に、はっきりと私は私自身を愛しているというのを再認識&自覚したんですよ。口に出すと気恥ずかしいものですが。
それは、私の両親や祖父母、故郷すべて、つまり私のバックボーンそのものを愛する事にも繋がっています。
だからこそ。今の自分も好きだし、旦那も旦那の家族も好き~と言えるのだと思うのです。
今、私が幸せ~って思えるのもこのバックボーンのおかげなんですよね。
もちろん、私のバックボーンも明るいものだけではなく、多少暗いものもありますが、いいものも悪いものも全部私の礎になっていると思うのです。
きっとまるごとに自分を愛さなければ、他人を愛することは出来ない、そんなふうに思います。だから、なるべく真剣に生きていく。
ほら、お笑いも真剣にしなくちゃ~笑いも取れませんしね。
未来に向かって、育ちゆく子供たちが、自分自身を大切に大事に愛していけるように、そう私は祈っています。
そのために、まずオトナから~己が幸せに真剣に一生懸命生きていく、みんなで幸せになろうよ~ってなことを言うているわけです。

あれ?本題とだいぶ離れすぎたかも~???
  • すず さん |
  • 2009/03/18 (10:19) |
  • Edit |
  • 返信

Re:遅まきながら…

>実のところ~以前に何度かここにコメントを書きかけては消す~てなことをしていたんですけどね~
マジっすか!引越ししたててで携帯で???すーーーーんまそーん!&ありがとう( ´艸`)
いつか書きたいと思っていたこと、これで全てです。もう思い残すことはアリマセン( ´艸`)
ナミヘイ自身も「自分史教室」でこの辺はまとめてまして。なかなかの秀作でした。
火の中を走るところなどは、短いながらも経験した本人ならではの筆致で…背筋を冷たいものが走ります…。

先日、テレ朝の開局50周年ドラマで、文官で唯一人A級戦犯として処刑された廣田弘毅氏を描いた「落日燃ゆ」が放送されていました。この方と祖父の、いったい何が違うというのか…。国際社会においての自己説明は自己弁護とは違うのだということを認めること自体が、あの時代の男性には難しかったのだろう…そんなふうには思います。奥さんが、先に自殺していたのも、死をもって贖う気持ちに拍車をかけたのだろうと想像します。が、ここで、納得できないことがひとつ。戦後の混乱を生き抜き子を守る、そんな思いがこの奥さんには完全に欠如している。自殺して自分だけ楽になる行動意図に、同情も理解もできません。「お母様」とは「お嬢様」とは、そんなものなのか、と。まさに死ぬ思いで家族を背負った多くのカァチャンや、心を殺してパンパンとなったカァチャンに、申し訳ないとは思わなかったものか、と。
因みに、政治家を志していた祖父は、資産家の上に、当時珍しい職業婦人であったことを理由に、祖母との見合い結婚を決めています。祖父は賃金は全て政治活動と人付合いに費やし、育児も家計も、全て祖母によって賄われていました。ふふふ。祖母に、子を残して死ぬ気など、毛頭ありませんでした。それこそ、当時の「普通の母」だったのでは…と思います。
(これは、姉が祖母から直に聞いているらしいので、そのうち聞いてみたいと思っています)

>ま、思春期にありがちな色々な事で嫌悪していた時代もあるのですが
幼少期に思いっきり「全てがあっての自分♪(音譜が重要)」を知るきっかけが山ほどあった分、わたしの思春期ってば悩みとは程遠いもので( ´艸`)部活オンリーになったののも然り、と思いました。
>きっとまるごとに自分を愛さなければ、他人を愛することは出来ない、そんなふうに思います。
その通りだと思いますよ。自分☆ラブ、重要です。理論分解☆de☆自分ラブ、ですよね。
自分すら肯定できない人は、他人に嫉妬こそすれ愛も尊敬も理解もできない…これは、体験的実感ですね。
  • from onamomi* |
  • 2009/03/18 (11:21)
  
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