忍者ブログ

オナモミ亭 ~猫柳一番地~

くも膜下から回復中の父のことを綴る場。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

マンナカジージョ

 何度か記事に書いていますが、わたしは次女です。
 女・女・男の、次女。わたしの親友の多くもこのポジション。
 名づけて「マンナカジージョ」。真ん中次女は…辛いヨ?!





生まれ来る子の性別が特定できなかったあの頃
男子誕生が望まれていたあの頃
願いとは別に女児が誕生しても皆が喜び、口を揃えてこう言ったものだ。
「一姫二太郎だね!最初の子は女の子がいいよ!次は男の子だね!」

   残念ながら、生まれたのはまた女。
   長女誕生の時より、明らかに少ない、お祝いの品々と写真。

長女のモジリのような名を貰い「末っ子」として一応可愛がられるのも束の間
待望の「本当の末っ子」に「長男」が誕生したら、その扱いはジ・エンド。


大きい順・小さい順・大事な順…どの順番に並べても、中途半端なポジション。
「末っ子長男」を弟に持つどの次女も、悩んだ時期がある。

一番になろうとすると、外野がうるさい。「順番を守りなさい!」
大きいお菓子を食べたい…そんな小さな願いが、けして叶わない。
些細なことで、とても悲しいキモチになった。

   親と手を繋ぐような時、母は弟の手を握る。
   姉は、ぴょんと跳ねて、父の手を握りにいく。
   ほんとうはもうひとつずつ手があっても
   わたしの分の手はないように、いつも、思えた。

ワタシハイチバンニナッチャイケナイノ?
ナンデワタシガオトウトジャナカッタンダロウ?
ニバンメニウンデナンテ、タノンデナイ。

写真の中の小さなわたしは
弟が生まれた時を境に、きりっとした顔になって、写っている。


 末っ子長男を持つ次女は、男っぽい子が多い。
 女扱いされることを極端に嫌う。ただ、性同一性障害とは次元が異なる。

「弟だったらもっと可愛がられるかなァ」。根っこはソコだ。ある意味、その程度だ。

男勝りでは納得しない。
誰よりも男らしくありたいと願い、次々と危険なことに挑み怪我もする。
怪我は勇気ある男の子の勲章であり、誰よりも多くの勲章が欲しいのだ。
「危ないことばっかりして!」と叱られるのも
本当は痛いのに平気なフリをするのも、全てが勲章。
怪我をした程度で泣くヤツは、真ん中次女には、いない。
『弟越え』には、男の闘いで勝つことが必須なのだ。


幸いなことに…と言うべきか。


わたしの弟は、とても体が弱かった。
一族の「待望の長男」として期待された、どのこともできない、とてもか弱い子だった。

   無事に大きくなって欲しい。少しでも元気でいて欲しい。

両親の願いは、同じく体が弱かった姉のいたわりは
自然、わたしの願いとなりいたわりとなった。
優しい姉は「姉」であり、喧嘩が強く活発なわたしは
か弱い弟の「兄的存在」となった。

兄的存在…かなりイイトコロにつけている。大変に満足。
熱で顔を赤くして寝てばかりいる弟が心配でたまらなかった。

兄は、弟の心配をするものだ。弱きを助く、それが兄なのだ。


 さらに幸いなことに。わたしには『育ての伯母夫婦』という存在があった。

わたしを生んですぐに母は盲腸に罹り、引き続き入院していた。
その後の体の回復も思わしくなく、姉もまだ小さかった。
そのためわたしは、長いこと子どものいない伯母夫婦に預けられていたのだ。

子どもが欲しくてたまらなかった伯母夫婦にとって、わたしは「特別な子ども」となり
姉や弟が長期にわたって寝込む度に、夏休み等の長期休暇の度に
伯母の家で「ひとりっ子」になった。


ここにいる時、わたしは次女の呪縛の『圏外』にいた。


常にまっすぐにわたしを見る瞳があり、何をしても褒められた。
わたしはわたしで『良い子』なのを認識できる快感。
さよならを言う時はいつも「次に来る時はうちの子になりな」と伯父は言った。
わたしはいつも「お母さんがいいって言ったらね」と答えて手を振った。

言葉で、態度で、伯母も伯父も
いつでもわたしが「特別な子」であることを伝えてくれた。
妹である母の名前の横に「みなさんへ」と添えた葉書とは別に
「オナモミちゃんへ」という葉書が、必ず、別に届いたものだった。
伯父からは、折々にプレゼントも届いた。
気にしないで、ちょっと嬉しく学校で使えるものが。


サイショカラ、オバサンチニウマレテタラ、ドウダッタカナ?
いつも考えたことだったが…どう考えても、しっくりこなかった。

   伯母に比べてちょっとマヌケな母が「叔母である」という状況。
   父が血の繋がっていない「小父さんである」という状況。
   姉と弟が「体の弱い従姉弟」という状況。

大きなポイントは、伯父さんと父の違いなのだろう。
伯父さんは、わたしの父となるには生真面目すぎる…そんなふうに、今も思う。
要は、わたしと父は、他人となるにはあまりにも似ているのだ。


 六年生の夏休みに、決定的瞬間がやってきた。

いつもとは違う真面目な調子で、伯父が「中学からこっちで暮らさないか」と言ったのだ。
わたしが困った様子を見せると
「お父さんとお母さんに、本気で言ってもいいかい?」と伯父は聞いた。


うちは確かに、その頃…というかずっと、とても貧乏だった。
病弱で、手間も医療費もかかる姉と弟。そして元気なわたし。
シェークスピアも読破済みの本の虫は、理屈も理論も専売特許。

   ヒトリイナイホウガラクダ
   ワタシハ、チョウジョデモ、チョウナンデモ、ナイ
   イクベキカ・イカヌベキカ

一人っ子の優雅な暮らし。まっすぐにわたしを見つめてくれる瞳。
静かにしていなさい、外で遊んできなさい、二人が寝られないでしょう…そう言われない日々。


「うん、いいよ」と伯父に答えて帰宅すると
狭い台所には、神妙な顔の両親がいた。
伯父は間髪いれずに電話をしていのだ。正式に「養女に下さい」と。

「伯父さんが、養女に下さいって電話をよこしたよ」と切り出した父は
なんと「君の好きなようにしなさい」と言った。

   ヤッパリナ

そう思う間もなく、母が叫んだ。

お父さん、何言ってるのよ!
お腹を痛めた子が、私が生んだ子が、好きにしていいわけないでしょう!
大人になるまでここにいるのが、当たり前でしょうに!
みんな大事な子なんだから!


あまりの剣幕に驚いたのか、父は前言をあっと言うに翻し
「お母さんと話し合いなさい」と言ってテレビをつけ、背を向けた。

父の尊厳のために付け加える。
我が父は、誰に対しても常に無心で向き合う人なのである。
自分の意見を押し付けることがけしてない。まずは当人の意思を素で聞こう…とする人である。
こんな局面であっても、まだ子どものわたしが相手であっても、父は常に変わらない。
その父が、個として折れるのは、母が本気になった「こういう瞬間」だけなのだ。


後から考えれば

   夫婦で話し合ってからにしてくれ…というか
   大人同士でケリをつけてからにしてくれ…というか

なんともマヌケであるけれども。
母の剣幕は、わたしの度肝を抜くのに充分だった。


なんでお父さんとお母さんに聞いてなんて言ったの。
 イラナイトオモッタカラダヨ。

なんでそんなふうに思うの。
 イツモコニクラシイッテイウカラダヨ。

小憎らしいって…賢いって意味に決まってるじゃないの。
 ソンナノコッチハワカンナイヨ。

じゃあ伯母さんとお母さんとどっちが好きなの。
 ソンナノキメラレナイヨ、ドッチモスキダヨ。

なんでよ、お母さん生んだのよ、どうしてよ。
 デモオバサンモソダテテクレタカラ。

あんたはうちの子なのよ、誰にもあげたりしないんだから。
 フーンソウナンダ、シラナカッタヨ。

なんで知らないの!大事なんだよ!ほんとにバカな子だね!

母はわたしの頭をグーでぶった。


「バカはお母さんだよ。大事なら大事ってちゃんと言わなきゃ、わかんないよ」
と言ったら母は泣き、散々お世話をかけたことも忘れ
「もう伯母さんちに泊まりにいかせないから!」とのたまった。
「約束だよ!大人になるまで、行かせないからね!」

このあとは普通の親子喧嘩に発展し、業を煮やした父が
母を「もうやめろ!」と叱り、例によって生意気を言い過ぎたわたしは
お尻にバンバンバン!と、三連発を喰らってシャンシャン。
我が家では、過ぎたことをグダグだ言うのはご法度中のご法度なのである。


後年伯母は「末っ子精神発揮して、お母さんたら~」と言ったが
かなりの修羅場だった…らしい。大人的にも。
わたしは約束などしなかったが、母の執念は恐ろしく
冬休みには、本当に頑として、伯母の家に行かせてはくれなかった。


わたしは「うちの子」のまま中学生となり、部活三昧となり
部活の休みは一年に三日しかなく、行きたくても行けなくなった。

中三の夏休みはトラウマのアメリカ滞在で行けず
受験勉強をしなかったとは言え、さすがに冬休みは行く気になれず
高校の三年間は、まさに三が日のみ休みの勢いで部活三昧。
早々に就職を決め、三年次の夏休みは我が母校の伝統、バンドの練習三昧と
再びアメリカの伯母の家へリベンジである。
アメリカにはまたしても敗北した。
日本に生まれてよかった…アイラブ日本…を実感することになる。

本当に六年間、伯母の家には泊まりにいけなかった。
偶然にも親戚間に全く冠婚葬祭がなく、顔を合わせる機会すらなかった。


 葉書が来る度に、母に隠れてこっそり電話をしたわたしが
再び伯母の家に泊まりに行けたのは、社会人になって初めての給料を貰ってからのことだった。

母はとても嫌な顔をしたが「大人になるまでって言ったよ」と振り切って泊まりに行った。
伯父も伯母もとても喜んでくれ、わたしがプレゼントした猫の置時計は、今も現役だ。


結婚した時、両親の座る位置には伯母夫婦に座ってもらった。
二組の実の両親は、新郎新婦と共に雛壇に座ってもらった。
残念ながら?末期癌の舅の介護をし、看取った後に離婚したが。

離婚から1年経ってから泊まりに行った時、伯父はこう言った。
「あの時うちの子になってたら、苦労させないですんだのかなぁ」


「いや、同じじゃない?わたしはわたしだからさ。誰の言うことも、聞かないさ」


「困った時はこっちにも帰ってくるのよ」と言う伯母に、わたしは続けた。
「困ったことなんて滅多にないさ♪強く育ったからね。
それに勝手に帰ってくるよ。どっちもわたしの家だから」
二人とも涙ぐんでしまって「立派になったなァ。誰の子かなァ」と伯父。
「みんなの子なんじゃないの」とわたし。



 六年間の空白の、罪滅ぼしは、できただろうか。いやいや、これからだ。
 母が止めても会えなくても、変わらぬ愛を注いでくれた二人に返したいキモチがたくさんあるのだ。


あの日あの時にタラレバはない。


母が「あげる」と言ったなら、わたしは泣いて「あげないで」と言ったろう。
だからこそ、無償の愛をくれた伯母と伯父の、自慢の姪でありたいのだ。
娘同然の姪でありたいのだ。


今わたしには、ヒトシの両親とあわせ、六人の親がいる。
へこたれている暇など、ない。
全員を笑わすだけで、まんべんなく『回遊』するだけで
とてもパワーが要るのだから。


生まれたことに、うちの子であることに、心からの感謝を。



.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚過去のコメント群より.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚

おかあさんの気持ちもわかりますね。
言葉や態度に出せなかったのかもしれませんね。でも、そこに愛情はあった。ただ養女の件で、伯父さま、伯母さまと会えなくなってしまったのは、残念…というか、寂しい事ですね。
ただ、にゃごさんの気持ちは、きっと伯父様、伯母様に伝わってると思います。
2008/4/2(水) 午前 8:02 ちゅん

にゃごさん、真ん中というポジションはみんな何か思うトコあるようですね。意外と3人兄弟の多い地域(というか、一人っ子やたら少ない地域。5人兄弟もチラホラ・・・)なので、3人兄弟の家族は常に真ん中の子のことを気にしてます。ほったらかしのようで、気に掛けてはいるお母さん。。。みんな大事に思ってるけど・・・の『けど』がどう伝わるかってトコなんだろうかと思うんですよね。ホントはもっと手を掛けてあげて、一緒にいてあげたいという気持ちは持ってるのに。兄の子は3人。ソコはちょっと例外で3番目が2番目のような感じです。男女男の次男です。。。
2008/4/2(水) 午前 8:06 そよ風

一番近しい友達の子も三人で、真ん中の子は一番飄々として掴み所がなくて周囲に理解されてないですが、私は一番気がけてますし、彼が一番頭もよくて優れているのにあまり評価されてなくって、ちょっと可哀想だったりもします
長男は皆から可愛がられているし、三男は障害があるので特別扱いだし、真ん中が一番損をしているように傍からもわかるんですよね
にゃごさんの伯父さん伯母さんも、そこんところを見て、にゃごさんを欲しいと思ったんでしょうね
ただフネさんの「わが子を誰かに渡すなんて」と言う、根源的な保守性が、にゃごさんの「子供としての心」を守ったんでしょうか?
誰かに必要とされて守られている、と言う確信があれば人は揺るがずにいられるものですもん
うちの父が揺らいでばかりだったのは、守ってくれるはずの母親を早くに亡くし、経済面ばかり考える祖父だけだったからかも知れないんです
母親の存在は、子供にとって最大要素ですもんね
2008/4/2(水) 午前 9:07 もあもあ

にゃごちゃんは両親がいっぱいいるねぇ♪
途中で両親が変わったわけじゃなくて増えた♥っていうのは
愛情も2倍だね!(^-^)
私の周りの真ん中っ子は『グレやすい!&ひねくれやすい!』
そんな認識があるんだけど、結構当たってるのかな♪
うちの姉にしても、姪にしても、友達兄妹にしても、
若い頃はちょっとひねくれてたんだよね・・・(^-^;)
みんな大人になってから、自己反省してたょ。
姪っ子は現在進行形で暴れてるよ(爆)よく学校に呼び出されるらしい(^-^;)
うちの姪っ子は、姉が離婚しちゃったから両親2/3人って感じなんだよね~。
にゃごちゃんみたいに育ってくれたら良いんだけど。

伯父さんも伯母さんも、にゃごちゃんが顔を見せに来てくれるだけで
親孝行になってるよ~(^-^)
空白の6年間も、時が経てば一瞬さ~。
2008/4/2(水) 午前 10:45 YUMI

にゃごさん、うちの真ん中の姉もそうでしたよ。やっぱり同じポジションだと似てくるんですかね?うちの姉、喧嘩は強いし、キャリア志向だし、勝気でホントに男勝りの姉。家族の誰よりも、恐い存在だったけど、いつも助けてくれるのは真ん中の姉でした。
2008/4/2(水) 午後 0:06 麦太ママ

お母様が怒るのも嘆くのもわかります。
おじさん、おばさんの気持ちもわかる。
その6年は天が与えた冷却期間だったのかな?
おじさん、おばさんのことを気にしつつ過ごしてくれた、その6年はおじさん、おばさんにとって決して空白の期間ではないと思いますよ。
2008/4/2(水) 午後 1:28 twis

ちゅんちゅんすずめさん→おっとり良い子代表の病弱姉弟VS口と頭の回る子ども…
大人になれば「小憎らしい」も「ほんとにバカな子だね!」も仰る通りでゴザイマス~
なんですけど、ねえ(^m^) 本人「同じ子ども」のつもりだから困ったもんです(*m*)
うちの母が専業主婦で、忙しくない時は噛み砕いて優しく話してくれる言葉を尽くす人だったこと
あとで考えれば、これまたラッキーだったと思います。
忙しくない時がない、常に放置されていたキャリア時代の「戦友」には
常に「ブラック☆にゃご」な子がいましたもん(^m^)
コイツはお父さんが癌で倒れて奔走して「あんたが一番頼りになる」ってお母さんに言われて
ようやく呪縛が解けましたね。「長かったね~」って珈琲で乾杯したさ♪
2008/4/2(水) 午後 3:00 [ N ]

そよ風さん→人まみれ育ちのにゃご、兄妹の中でのポジションと保護者との関係って
思考と行動に最も影響を及ぼす「ハードル」と考えちょります。
&、偶然かもしれないけれど、第二子って丈夫な子が多いような…
しっかりしてて丈夫とくれば、猫の手も借りたい子育て真っ最中
目の端に入れつつ「放置ふう」というのは仕方ないことと、大人になればわかるんだけれど
どうしたって「ナゼ」「ドーシテ」と考えるクセがつき益々論理的になる。
その通り道には「屁理屈」→「理屈っぽい」が必ずあるわけで
「可愛くない子ども」まっしぐらさァ♪ヽ( ´▽`)ノ ハハン

手をかけてもらった子どもというものは
「モーうるさいなぁ、放っといて!」と言うのも、どの家もお約束で~。
頼りになる・生んでよかった・いい娘です…そんな言葉はもはや独り占めですサ。
「てゆーか、元手かけずにたかられてねぇ?損じゃねぇ?」と言い合いつつ
マンナカジージョの集いは「幸せだねぇ♪」と盛り上がるのでした。とっぺんぱらりのぷぅ。
2008/4/2(水) 午後 3:14 [ N ]

そよ風さん→【ソコはちょっと例外で3番目が2番目のような感じです。男女男の次男です。】
あ、これはまた役割が違うから、それ、アッテマス。
確固たる立ち位置の長男がいて、第二子は「長女」。
家の中に両親が二組いるような状態ですな。歳が離れてたら、特に。
ナンデ・ドシテの思考の波に溺れるのは「末っ子次男」でやんす。

この「マンナカチョージョ」には、母性的慈愛に満ちた献身的な子が多いですね。
そんでもって長男君てば、ジャイアンかのび太か、両極端に別れるふう。
どっちかって言うと、のび太キャラが多いみたい。
明らかにマンナカチョージョがご苦労されるふう。
2008/4/2(水) 午後 3:22 [ N ]

もあもあさんママ→【彼が一番頭もよくて優れているのにあまり評価されてなくって】
自分で言うのもナンですけど、性連続の第二子(男男、女女)に、バカは絶対いないと思う~(^m^)
そこが大人にすれば「子どもらしくない」になり
場合によっては「可愛くない」と断言されたりもしてしまう。
トラウマにならないまでも、思考の根っこには必ずなりますね。

【長男は皆から可愛がられているし】長子誕生への周囲の無垢な期待と喜びって
本人の脳髄に叩き込まれてるんだと思うんですよ。天真爛漫に、その思いを返せる。
保護者に精神的余裕がある場合「子どもらしい子ども」って、長子に多いように思います。
逆に、言葉がどうとか、そういうことは考えずに…
わたしだったらけして言えないようなオソロシイことを、サザエモドキは親に言えますね(^m^)
「可哀相じゃん!」って言うと「何で?」と。
言葉ぐらいで絆は切れないと確信してる自信って言うのかな
あれはマンナカジージョにはもてないモノだなぁ、って、いつも思います。
2008/4/2(水) 午後 3:35 [ N ]

もあもあさんママ→あの日母が叫んだのは、わたしにとって青天の霹靂でした。
感激したというより「へっ?」と、純粋に仰天です。
だってそんなの一度も、絶対に一度も、聞いたことがないから。

ここが「生んだから」ならではの言わなくても伝わってるハズ…の「母の思い込み」であり
伯母が、生んでいないからこそ、心を砕いてくれたポイントなんですよね。
それは当時もわかっていたので、行けと言われたら「ここにいたい」と言ったであろう自分を
「なんて悪い子なんだ!」と、心の底から思いましたよ。
伯母さん夫婦は寂しくってね、フォスターペアレントとかやりまくってましたね…。
2008/4/2(水) 午後 3:47 [ N ]

ウチにはマンナカ・チョットズレタ・ジージョが居ますね。。身体の弱い長女と少し年の離れた長男の間に挟まれた元気なジージョは立ち位置を決める前に、もっと小さいサンジョー(私だw)に襲来されて。。。(ー人ー)チーン♪
ヤパーリ子供の居ないオバチャンに養子にくれと言われたらしいです。子供沢山居るし○○チャンは間に挟まれて可哀相だからって。

面倒見のイイ、チャキチャキ姉ちゃんだったのに、ケコーンを失敗して今ケチョンケチョンの自信喪失中です…ウチで一番社交的で何時も人の輪のマンナカに居る華やいだ人だったのになぁ。。。あ、O型です。。
2008/4/2(水) 午後 3:53 ぴよ

もあもあさんママ→てゆーか、うちの両親、マヌケにもほどがある~。

母は意外とパニック体質なので、電話を受けてドーシヨーって大騒ぎしたに違いなく
父は「任せろ」って言っといて大局的にスカシちゃって
おかん、スイッチ入っちゃいました~みたいな。最初っから入れとけ!
間髪いれずに、わたしが「じゃあ行く」って言ったら
ナミヘイは淡々と手続きしたはずです。何しろ「筋金入りの頑固者」だから(*m*)
「本人の意思を優先する!」って湯気だしてやったはずですよ。間違いない。
で、自分で選んでおきながら「捨てたね」って、他人面してたと思いますよ、わたし。

だから、もあもあさんママのお父さんの、答え無き怒り、わかるんですよ。
お母さんがいなくても、お父さんが「人」を見てくれればよかったのにね。
あの時代、養子はけして珍しいことではなかったし。
兄弟に負けたのではなく、財産やお金なんて「モノ以下の自分」…悲しすぎました。
2008/4/2(水) 午後 3:53 [ N ]

おっと同時だ、ぴよさん♪先にイッチャオウ♪

【ウチで一番社交的で何時も人の輪のマンナカに居る華やいだ人だったのになぁ。】
イエース♪ジージョの立ち位置です、そこ(^m^)
【ケコーンを失敗して】
年齢・仕事(人間関係含む)・子どもの有無・諍いの理由…そんなのが複雑に絡み合って
通過点のひとつとなるか、失敗としか受け取れないか…なんですよね。

わたしの場合、舅本人は末期てあることを知らず、姑は介護を放棄。
姑の「お気に入りの嫁」であったわたしは、年間労働時間5千時間超えの最中に
「嫁なんだから」という言葉に違和感を感じつつ、舅本人は良い人だし…とまさに寝ずの看護。
夫を失い「悲劇のヒロイン」の頂点に立った姑は、両親も伯父も伯母も捨て仕事も捨て
「私のために生きろ」とのたまいました…「アンタ、何様ですか?!」

校了真っ最中に会社に電話をしてきて「召使がいないから義母さん大変よ」とだけ言い
当時の夫が代わり「そういうことだから」と言って電話を切った瞬間
わたしの血管『が』ブチ切れた(*m*)「テメーラまとめて捨ててやらァ♪」
2008/4/2(水) 午後 4:13 [ N ]

ぴよさん→【可哀相だからって。】周囲に言われて一番傷ついたのは実はこの言葉ですなァ。
可哀相なんだ、ソウナンダ、ヤッパリカワイソウナンダ、って。
親に「放っといてごめんね」と言われるのとは違うんですよね。
セットで【子供沢山居るし○○チャンは間に挟まれて】となると
ハァ?たくさんいると一番最初に「イラネェ」はわたしなの?誰が見てもわたしなワケ?
サンドイッチ頼んだら「具がキューリだけだった」みたいな位置ですかっ?!みたいな。
嗚呼マンナカジージョはキューリだヨ、水っぽいキューリなのサ、と(*m*)

子どもがいなくてヨカッタ!って、あの時は心底思いましたよ。
そもそも愛情深いタチで我慢強いから、背負い切れないほどのものを背負うとしてしまう。
実質三年かかったとは言え「あばよ♪テメーラ、いらネェ♪」と言えなかったと思う。
そして仕事。その頃の年収、700~800万位でした。
全盛期のナミヘイの倍以上稼いでましたもん(*m*)
「死ぬまで余裕で生きられる♪」って思えました。(当たり前)
てか、労働時間は二倍ずらないずぇ。5000時間て、死亡遊戯ですぜ。
2008/4/2(水) 午後 4:24 [ N ]

YUMIさん→【私の周りの真ん中っ子は『グレやすい!&ひねくれやすい!』】
ハイ、間違いないですね(^m^)

周囲の言葉に一番晒されやすくて、子どもだから冗談で交わすなんてことはできなくて
自分を守ろう、傷つきたくないという思いが、周りから見れば「ひねくれる」となり
そうじゃない!を伝えようとすれば理屈っぽいと言われ
「天真爛漫な方がノータリンですからァ♪」って、状況固めですヨ。

己の存在意義に向き合うのは思春期の定め。
これが思春期にガーッと来ると「グレる」と見えるわけですな。
わたしは思春期以前に思考のピークが来ちゃってるし、貧乏すぎてグレてる余裕がっ(*m*)
2008/4/2(水) 午後 4:33 [ N ]

YUMIさん→【自己反省してたょ。】ふぉっふぉっふぉっ…甘いな♪
てかその人たち、いい人だァ(^m^)
わたし、反省すべき点なんてないもの♪分析・理解はするけどね。

「うちの子なんだから当たり前」の無言の強要の部分を、小さい頃から
伯父と伯母が言葉できっちり「よその子はしないよ、偉いね」と支えてくれた。
これはとっても大きい。夏休みは、1年の心の垢を落とす大事な期間でした。

親が増えた…ってか、最初っからわたしにとっては四人、並列でいるのよね。
生んだんだからー、生んだんだからーって言う母の「ワガママ」の部分は
伯母もわたしもどちらも生んでないから「ふふふ♪」ってことにしてあげてるの。
2008/4/2(水) 午後 4:38 [ N ]

麦太ママ→ふふふ。そのおねーちゃんは、一生頼りになりますヨ。
マンナカジージョはけして裏切らないのだ。
正義や救助なんて言葉にはすぐ心が躍り、勝手に体が動くんですヨ(^m^)
ルールの中で戦うことは大好きだし~喧嘩はするら勝たないと、みたいな(*m*)
キャリアは、わたしの場合、流れで「結果としてそうなった」ですけど
頑張らないと「見つけてもらえない」から、結果として戦闘能力が高くなるんですよ。
百点とるのも、別にクラスの中でどうとかこうとかはなくて
「百点とったよー」で「偉いねー」って家で言われたいだけで。
全員が百点でも、別にいいの。
でも、百点を目指すクセがついているから、結果として、勝負強く、勘所よく、なっちゃう。
全ては「大切な子であることの確認」、その途中結果。
ある意味、永遠に大人にならない人なんですよ。だからパワー満点なの。
子どものパワーって疲れ知らずでしょ。それと同じなのです(^m^)2008/4/2(水) 午後 4:46 [ N ]

twisさん→一人っ子には一人っ子の苦労がありますよね。
瞳を一身に受け続けるということに躊躇がなかった…と言ったら嘘です。
でも、twisさんちは、父上がいい具合に弟とダメな兄貴といい父親の三役をやってくれてて
なんかいいダシ出てますよね~(^m^)

愉しい家族の輪のポイントって、父親のような気がします。
母親は、オキシトシンが正しく分泌されれば、脳的に母親になれる。
けれど父親は、同じ親でありながら、生んではいないからこそ
なろうとしなければ父親にはなれない。
一生、戸籍上は父親であっても父親には足りてない人がいっぱいいますしね。
ちょっと距離を持ちつつ、見守る愛情っていうのかなァ。

てゆーか、ナミヘイは、父親以前に、稼ぎ手として不合格ふう。
あの人は「生で落語」ぐらいにみておかないとヤバイです(*m*)。
あっ、自分で似てるって言ったんだった!わたしも生落語…うぎゃっ。
2008/4/2(水) 午後 4:58 [ N ]

■ もあもあさんママ ■

親父殿に、この記事を捧げます。
親父殿にも、わたしの伯父と伯母のような人がいたなら…と。
トラックバック、どーん!
2008/4/2(水) 午後 5:11 [ N ]

う~ん、わかるなぁ!
僕は次男やけどいらん子?って気持ち分かります。
長男が病気で手がかかったのでよく祖母の家にあずけられました。
そんな僕を不憫に思ってか親戚の人たちは可愛がってくれました。
六人の親がいるってのもわかるなぁ!
今のなおきちは恩返しどころかスネかじり虫ですけどね。
繰上げ長男頑張らなあかんなぁ。
2008/4/2(水) 午後 5:33 なおきち

なおきちさん→次男だったんだァ(^m^)打たれ強い・我慢強い・勝負強い…みたいな
「次」独特の強さがあるなーと、ぼよーんと思ってましたヨ♪
(だもんで、滅多に吐かない泣き言にグッときたんぜヨ、きっと)

【不憫に思ってか親戚の人たちは可愛がってくれました】
なんで不憫「だけ」一番なんだヨ!みたいな~。嬉しいようなより憐れなような~。ぶほー。
上にも下にもあわせないと存在意義が揺らぐから、ブレないわりには守備範囲広いふう。
だもんで、大人になって社会に出ると、要領よく泳げるんですよね。
頑張った以上の評価がかえってくるふう。見せ方が派手でわかりやすいから(^m^)

繰上げで長の役をするのもお約束みたいですよ。
長のプレッシャーがないから、やすやすとやってのける…みたいなところ。
実質はNO.2のままなんですけど、影のドンみたいな、ね(^m^)

まずはゆっくり休んで、体力・心力回復ですヨ♪
内なるパワーが最も大切なんですもん、「次☆組」ってさ♪
2008/4/2(水) 午後 7:39 [ N ]

にゃごさーん
トラバありがちゅ~~~ん♪デス

にゃごさんにとっての伯父さん伯母さんになるはずだった、父の養母の大叔母が、ヒトとして沢山の事項に欠けていたために起こった悲劇でもあるのです
「人が人を創る」まさにその通りだと切実に思いますネ
ドコにいても、何をするでも、人材が何より大事ですよね
2008/4/2(水) 午後 7:48 もあもあ

もあもあさんママ→親父殿はあの世では迷子にはなっていないと信じて。

誰でも心の隅っこに「イラナイ子」の迷子のキモチがあるはずで
「不幸な子」の呪縛もあるはずで、そんなキモチを笑って流すには
自ら言葉に噛み砕く必要があるんじゃないか…そう思ってます。

言葉になった途端、迷子のキモチは論理的に整理され
跳び方や避け方のわかる「見えるハードル」になる。
でも、言葉を知らない子どもの頃には、それが、他人の口から
できるだけちかしい別の人の口から出ると、なおいい。とってもラクに跳べるんですよ。

因みに…一緒に住んでたのに、ナミヘイの弟妹ってば、いや、祖母もだけど
わたしが生まれたてで母が盲腸になった時、なーんも助けてくれなかったんですよ。
シンジランナーイ!
親戚として、わたしが時々、完全に「忘却」してしまうのも致し方ナシですワ。
この人材群は、成年後「イラネェ」に分別させてイタダキマシタ(*m*)ほほほ♪
2008/4/2(水) 午後 11:18 [ N ]

にゃごちゃん、良い記事だね。
泣き所も笑いどころも満載だ。
できれば記事の上じゃなく、一緒に逢って噛みしめたいところだよ。
2008/4/2(水) 午後 11:25 健太郎

家内は3歳の時、養女として今の両親のもとに来ました。
その養父母も何年か前に亡くなり、今では自由に生みの親のもとに
行けるはずなのですが、今でも行こうとしません。

ただ過去に2回だけ行ったのですが、その二回と云うのは長女が
誕生した時と次女が誕生した時です。

私はそんな家内を見て・・
『今はもう養父母はいないのでから、たまには行ってあげたら?』
と云った事がありましたが、家内は一言・・
『あんな人絶対許せない!』と言い、生涯許すことはないそうです

『生みの親より育ての親』とはよく言ったものだと思います。
2008/4/3(木) 午前 0:30 hisami

読ませていただいて前よりは少し解ったつもりになっています・・・
私は独りっ子なので兄弟の柵は良くも悪くも羨める立場ですが・・・
親との柵はいくら無視しても消える事は有りません・・・
離婚して愛する家族を棄ててまで嫌いな親と同居しているのは・・・
その死に際を見極めたいからなのです・・・
2008/4/3(木) 午前 0:49 レイカ

にゃごさんはしあわせですね。病弱なこどもたちに手を焼いたからといって、にゃごさんへの愛情がなかったわけではなく。(もちろん、子供はイッテクレナキャワカンナイんですけど)
にゃごさんだけをまっすぐ見てくれる伯母さん夫婦がいて。
それで、すいもあまいもかみわけられるんですよ。悲しいだけじゃダメ。幸せなだけでもダメだもの。
2008/4/3(木) 午前 1:12 kiyoneko

私の母は、5人兄弟の真ん中で、祖父は長女がかわいくてたまらず、祖母は長男べったりだった。ここでも親戚が登場するのですが(祖母の実家の人々。祖母の母親と妹たち)、これがかわいがったのが母の年子の妹。やっぱり家に連れてっちゃって猫かわいがり。
どういうわけか、裏返しのように母をいじめたそうです。母に味方はなし。
母は強いです。気が強いです。でも、病弱な役回りも母が担っていた。7歳までは生きられないっていわれて、ランドセルも小学校入学の手続きもしていなかったって。
もう、最悪でしょう?母を貫いているものは恨。ハンと呼ぶと、なんか、合うような気がするの。
でも「丈夫で美しく頭がいい」兄弟たちはみんな早世して、母が跡取りになり親を看取って、80歳になりますが、ハンは消えない。
ハンのしぶきをたくさん浴びた私も、しんどかったよ。
母に、にゃごさんの伯母さんのような人が、一人でもいてくれたら……。
2008/4/3(木) 午前 1:27 kiyoneko

健太郎さん→笑うところは、次のうちのどれでせウか?!(*m*)
①ええカッコしようとしたナミヘイが母の剣幕に飲まれてテレビをつけるところ
②フネモドキが散々お世話になったことをコロッと忘れて泊まりに行かさん!と言うところ
③わたしが「誰の言うことも聞かないさ」と断言するところ
④コメの中でナミヘイの弟妹を「イラネェ」に分別したところ
⑤イラストが最後にツクシに変わって、真ん中が一番でっかいところ

ふふふ。健太郎さんともそのうち会えそうな気がするよ。
文字数オーバーで「だ・である調」に直すのが面倒だったでござる~。
2008/4/3(木) 午前 1:55 [ N ]

hisamiさん→結局わたしは「うちの子」のままで六人の親を持つことになりましたが
奥様のように、また、もあもあさんママの親父殿のように
けして消えない悲しみと怒りを胸の奥に抱いてる方はたくさんいますね。
わたしは、決定権は最終的にわたしにあるような立場での「お願い」だったけれど
多くは本人の意思も希望もないままに、まさにモノのように右から左へと…
その悲しみはいかばかりかと、我がことのように胸が痛みます。

文字数オーバーで割愛した部分なのですが
わたしは実は「養女になる」と言ったら泣く母の姿を想像できていたのです。
ただ、それは後年伯母も言った「末っ子根性」の一部で
「みんなのものは私のもの・私のものは私のもの」の世界で
わたし個人が「大事」という実感がまるでなかったのです。
本能的に、このタイミングで、言葉としてきちんと引き出さないとダメだ…と知っていたのです。
よしんば「あげる」となっても、泣いてくれたら「許そう」と思っていました。
2008/4/3(木) 午前 2:12 [ N ]

hisamiさん→続きます。

伯母の愛は生んでないからこそ深く細やかで、その愛を姪として受けるには
母とわたしの絆を確認する必要があったのです。
生んでいない伯母の愛は、戸籍などで変わるものでないことも知っていましたし。

だからこそ、養父母がお亡くなりになったからこそ
会いたくない、許せないという奥様のお気持ちが激しく理解できるのです。
いい悪いなどとはもう別の次元で、心の中で実父母をナキモノとして昇華されているから。
それこそが生きてきた力の源であり越えてきた幼き心の屍であり
養父母への恩や愛とも、また、全く別のことなのです。
そして、養父母亡き今、当事者が半分いない今
都合のいい作り話をされて、もっと嫌いになることをも恐れているかもしれませんね。
2008/4/3(木) 午前 2:18 [ N ]

hisamiさん→更に続きます。

「実の親であるというだけで、愛されるなどと思うなよ」
これは、中学生の頃にわたしが書いた詩の一節で…
思春期とは厭世的であり心の内側に向かい合う時期であり
別に親が本気で嫌いだったわけではないのですが
鋭敏な時期だけに、真実を突いているかもです(^m^)

幼少期に「捨てられた」という感覚は、容易に捨てられるものでも受け入れられるものでもなく
…奥様の選択は、正しいと、わたしは思います。
無償で受けられるはずの者に愛を与えなかった者は、愛を乞う資格はない、と。
2008/4/3(木) 午前 2:27 [ N ]

レイカさん→『一人っ子は辛いずぇ!』で先日ドッペルずと盛り上がったのですが
二つの異なる思考と四本の手を一身で受け止めることの大変さ…うぎゃっ!
親からも世間からも比較というハードルを設けられるのは兄弟にはお約束ですが
分散・配分というよき面もあり、我が三姉弟はパワーバランスがよく
まあ、ナイスな姉弟関係と言えますね(^m^)
家族で仲良く~とか、そういう思考の根っこを、今回随分書き散らしました(^m^)
この後思春期に向かい、当然思春期なりの親子喧嘩もあるのですが
わたしはこれで、伝家の宝刀を手に入れてしまいました。
「いいよ!伯母さんちの子になるから!」
うちの場合、おかんが子どもっぽい面がありまして、わたしが悪いということは殆どなく
おとんがいる時はこれでOKでした。

六人の「親たち」の年齢は団子のようにくっついており
介護も看取りも、同じ時期に重なるかもしれません。
万一「うちの親を優先してくれ」なんてヒトシが言ったら、その時は迷わずグッバイですわ(*m*)
言わないとは思いますけどね。
2008/4/3(木) 午前 2:43 [ N ]

kiyonekoさん→そうなんですよ。わたしは幸せなんです(^m^)
サザエモドキは、実はこの伯母をちょっと敬遠するのです。
わたし「だけ」が大事な感じがするようで「にゃごの伯母さん」と言う時もあります。
オイオイ!みんなに可愛がられてそれかよー!って(^m^)
タラオは「名を残す直系の長男」ということで親戚中にちやほやされましたが
(てゆーか、名しかない、どん底の貧乏ぢゃないですかーっ)
驕ることなくソツなく愛想よく100人にご挨拶できる大人になりました。
しかし残念なことに、妻を娶る予定も子孫を残す予想も、それ以前に甲斐性がありません(*m*)
時代も急激に変わりましたしね。
2008/4/3(木) 午前 2:50 [ N ]

kiyonekoさん→お母様、ハンを背負われて当然ですよ。
お辛かったですね…。そしてkiyonekoさんも。
伯母は偏屈なところもあるのですが、可愛い優しい人ですよ。なかなかいない人です。

女が家に縛り付けられていたその時代、女はオンナであり
奉公という名の子捨ても搾取もありましたし
狭い「世界」で苛めは格好の息抜きでもあったのでしょうね。
あの時代を綴った文学は、どれも、読んでいるだけでも重たい…
出口のない怨念がとぐろをまいているのが見えるようです。

ナミヘイの弟妹は元祖競れ部(セレブ)で、どいつもこいつも英語を話し
お金と地位とで人を差別する人種だったので我が三姉弟は「職人風情の嫁の子」
…ということで可愛がり合戦も何もなく…それは今となっては「救い」なのかな?と。
アイツラ全員は、さすがに背負いきれませんッ(*m*) セーフ?!
フネモドキの兄弟は、伯母以外は皆3×2×3で子孫のピラミッドを築きまして
うちと同じような環境になっています。
2008/4/3(木) 午前 3:03 [ N ]

私は長女であり~父方のイトコの中でも一番上でもありますが…。父は叔母と会うのを嫌がっておりまして(おそらくシスコンの揺り返しだわな)、或いは父が叔母に私を取られるのを嫌ったのか~?ですので、イトコの中では私は別格で~三つ下の菜々子がイトコの中の「おねえちゃん」ですわ。ちゅうても、祖父母同居だったので私もずっと交流はあったので、同じなんですけど、なんかちょっと私だけ一歩間に置いた感じですかね。
妹とは8つはなれていて~元々腹違いですから戸籍上もドッチも長女なのだ~。感覚としてはどっちも一人っ子かなあ~?しかし妹はイトコ達と普通に交わり(そりゃ~同級生が保育園やら小学校にいたらそうなるわな)イトコの中で次女的な立場だったのではないかと思います。
成人する頃から私はこのイトコ達の場にいるようになりましたが、いつも「違う場所」というか、居心地の悪い気もしないでもない。

たぶん、私はやはり一人っ子的かなあ。
2008/4/3(木) 午前 6:28 すず

父は、祖父母が満州から帰ってくる頃に生まれたそうなんで、事情によっては「中国残留孤児」になった可能性が高かったみたいで~、叔母たちとはなんか疎外感があったみたい。されど「長男」ですから~。本人いわく色々葛藤があるそうです。じいちゃんは「アイツは生まれたまんまのヤツや」と生前ぼやいていたけど、じいちゃんの遺書(母が亡くなる前に作ったらしい)には、父に任すという文字はひとつもなかった…。
順番として、じいちゃんがすべて任せたかった母が先に亡くなり、それからじいちゃんが亡くなったので、その遺書は私がポイしてしまって…今でも父は「オヤジの遺書があるはずや。どこや。」と言います。残念ながら、すべてを任すつもりだった母の次点は叔母だったので…やはりあの遺書はなくて正解だったか…。
2008/4/3(木) 午前 6:35 すず

なんでもポイしちゃう私…ちょっと反省したお話でございました~。
2008/4/3(木) 午前 6:37 すず

私も「待望の」末っ子長男ですね。虚弱やったので末っ子次男を両親は再挑戦したんですけど末っ子妹に・・・orz 養子縁組は大学進学時が無難。私も姪を早くに養子にしようかな、と悩みましたけどね。はっきりとアタマで理解できる年頃やないと混乱が生じますよね。来年の今頃は「子持ち」になってるハズなのは秘密。
2008/4/3(木) 午前 8:33 [ c1491jp ]

読んでてホロッてきてしもたわw
私は一人っ子やねんけど、母が幼少の頃に亡くなって父は一年で数ヶ月しか帰ってこない仕事してたから祖父母が心配してからなのか分からんけど子供のいない親戚に「養女」に行く話しが出たときがあったのを思い出したよ。養女の話があってから父は職を変えたみたいで養女に出されずに済んだみたいやけど。にゃごさんは父母が2倍2倍!
みんなに大事にされてみんなを大切に思う♪兄弟も仲イイし、一人っ子の私には…羨ましいノダ(笑)
2008/4/3(木) 午前 9:21 もな

すずさん→戦前・戦中・戦後直後…
その頃に生まれたどの方も、思考と性格の根っこにその暗雲があり
ナミヘイなんぞ「筋金入りのヤル気なし」の道を選んだ、究極のへそ曲がりにございます~。
その思いのしぶきを受けて、わたしたちの世代は育っている。
どこかに薄靄があるような不透明なキモチは、そこから来ているのかしら。
わたしが小さい頃には戦争未亡人のお婆さまがまだあちこちにいて
女手ひとつで子どもを抱えて戦後を乗り切った方がいる一方
夫だけでなく手塩にかけた息子たちを全て亡くされた方もいて…

よく遊んだ空き地の傍に、8人の息子さん全員を失った
ちょっとボケ始めていたお婆さまがいらしてね
亡くした息子さんのお一人に、わたしの顔が似ていると
よくカリントウをちり紙に包んでくださいました。
「もうお国のために死ななくていいように、よそんちで女の子に生まれたんだよ」
なんて言われて、ちょっと怖くもあり…行かなくなってしまった。
行ってあげればよかったな。「そうだよ」って、言ってあげればよかった。
2008/4/3(木) 午後 1:13 [ N ]

すずさん→遺言ポイは…あうあうあう…以下自粛(*m*)
でも、よかった…に一票、かな、やっぱり。

残すほどのものも争うほどのものもない…これはやはりナミヘイの思惑で。
あの人は、意思を持って、稼ぐことを拒否してましたから。
暮らせるだけの分、それだけしか働かない人でした。
戦後何もかも失ったナミヘイ一族。
持ったものは無くなるのだ、という思いは、思春期に終戦しただけに強烈だったようです。
お陰様で、遺産相続争いで殺人!なんてニュースはまさに他人事。
「貧乏でよかったねぇ♪このマンションはタラオにあげるヨ♪甲斐性ないから♪」
2008/4/3(木) 午後 1:19 [ N ]

シンデレラさん→でしたよね(^m^)
今度こそ男生むどー!の気合と、三回目だから大丈夫♪の安心感のせい?
三番目に生まれた長男が頑健な人って言うのは聞いたことがないです…
末っ子長男でリーダーシップが発揮できて頭の切れる人ってのは情報ゼロですし~。
シンデレラさんが賢くリーダーシップがある方になったのは、妹さんのお陰かもッ(^m^)
体弱くても、おいら、兄貴なんだからー!みたいな思いが、脳を刺激してたりして。

【はっきりとアタマで理解できる年頃やないと混乱が生じますよね。】
んだんだ。激しく賛同です。
その後もわたしの高校進学時、18で社会人になる時、20歳の時…と伯父は頑張ったのですが
この話題になると一気に大魔神に変身するフネモドキとは会話不能で(^m^)
社会人になる時「お祝いに洋服を」と伯母夫婦から誘われたのですが
この時も「泊まっちゃダメ!」の一点張りで、かといって準備資金もなく
デパートで三人で待ち合わせることで「合意」となり
泊まりに行けたのは入社後の4/25でしたよ。
2008/4/3(木) 午後 1:29 [ N ]

シンデレラさん→続きます。
来年の今頃は…ですか。賢い姪御さんたち、大丈夫でしょう♪

今、わたしは、伯母の財産管理人になってます。二人が順繰りに天に召されたあとの。
家屋敷・財産などは法に則って伯父方の親類にも分配するとして
わたしたちにとって大切なのは、祖父が作った家具類なのです。
もう二度と作られることのない、職人の技と愛をこめた作品。
祖父は全ての娘たちの嫁入り道具を手作りしているのです。
目が悪くなるにつれ歪みが生じ、フネモドキのものは一番の「ヘタレ作」ですが(^m^)
こういうものを、意味ある相手に繋ぐのが、わたしの役目です。
わたしはちゃぶ台と鰹節削りを貰うんですよ♪
2008/4/3(木) 午後 1:34 [ N ]

もなさん→おう!ご苦労されましたね。
独立独歩のもなさんの存在意義・意思決定の根っこ…でしょうね。
【養女の話があってから父は職を変えたみたいで】
まっすぐ向き合おうとしてくれる、そのキモチが嬉しいじゃないですか♪

わたしがみんなに大事にされたか…というと
やっぱり、放ったらかしな面が多かったと思いますけどね(^m^)
「大丈夫、できる、任せた」と言いながら、後で叱られる、みたいな。
あ、叱るのはフネモドキです。
だったら最初ッからサゼッションしてくれませんかぁ?っていつも思った。
その母娘喧嘩のサマを、ナミヘイは最初は黙ってみてるんですけど
最後に「いい加減にしろ!バカモン!」と叱られるのはフネモドキでした(*m*)
愛情ゆえの母親の理論てば、往々にして理論破綻してるもんですから
ナミヘイは、こういうことは「親の言うことは聞け」とかで斬ったりはしない人でした。
理論として正しい方に、常に一票を投じる男なのです(^m^)
2008/4/3(木) 午後 1:42 [ N ]

達意の文章で一寸した短編小説を読んでいるようでした。 良いお母様をもたれました。
2008/4/3(木) 午後 2:11 ヤマザキ

ヤマザキさん→久しぶりに本気で書きました(^m^)
でも、せめて6千文字あったら!一番悔しいのは【猫の置時計は、今も現役だ。】
ここは【猫の置時計は、今も時を刻んでいる。】としたいところでした。

わたしの母がわたしや姉弟の友人からも慕われるのは
このわかり易さに尽きると思っています。
生んだ命に責任を持ち、可能な限り正面から向き合おうとする母として当たり前の姿。
そして、意外に当たり前では「ないらしい」姿。
多少言葉が足りなくてもその思いは伝わってくるだけに
「本当に大切なことは言葉にしてよ」という思いが、幼きわたしにあったのも事実でした。

英語嫌い、アメリカ嫌い…の理由を書ききるまで「ヤマザキ断ち」してるんですよォ。
チラミしてますが、よく読まないようにしています。筆がどーにも鈍るので(^m^)
英語が嫌いなわけでもアメリカが嫌いなわけでもない本当の理由は
とっくに見つけているんですけどね。嫌いについて書くって、疲れちゃって(*m*)
早く書き上げて、そちらに参上いたしますぞ!
2008/4/3(木) 午後 5:27 [ N ]

ヤマザキさん→ナミヘイはダメでしょうか~(*m*)
いつもみなさんからは常にフネモドキの方がポイントが高いのは
わたしのキャッチアップが間違っているのでせうか…
まぁ、このエピソードでは影が薄く、髪はそもそも無く…(^m^)
2008/4/3(木) 午後 5:29 [ N ]

ちょっとフクザツな気持ちですね。お母さんの気持ちはもちろんわかるけど、でも、伯父さん御夫妻も、にゃごさんが娘であってくれたなあという強い気持ちがあったのはいたいほどわかります。子どもがほしい人にとっては、それが人生の目的みたいなところがあるから。まして、自分で育てるというようなことをやってみて、ますます、その気持ちが強くなったと思いました。でも、選択としては、お母さんの子どもである以外に余地はなかったと思うし・・・フクザツです。
2008/4/4(金) 午前 0:24 ちゃんたむし

ちゃんたむしさん→ほんとですよ、フクザツです。
いまだにフクザツな部分は未解決項目でもあります。

生まれたてのわたしを二ヶ月育てて…その後も母の体調はなかなか戻らず
最初の1年は二週間向こうで1週間は家で…みたいだったと聞いています。
「ちょっと預かった」の域を確実に超えており
すりこみの理論に基づけば、わたしの母はやはり伯母となる。
母乳をまずそうに吐き出すわたしに母が「?」と潜在的に思ったのも頷けますし
伯母との強い、心の繋がりに、母が任せつつの頼りつつも恐怖するような心理も理解できます。
わたし自身、どちらが好きか、いまだに順位はつけられないのです。
よって、法に則って「うちの子」のまま、並列で六人に対する…
というのが平和的解決、情緒的納得、と言いますか。

六人同時に入院したりしませんように!と祈るばかりでアリマス。
2008/4/4(金) 午前 1:23 [ N ]

5,000字制限と言うのは時々厄介ですね。 でも「今でも現役です」は簡潔で私なんか好きですね。

久しぶりなんて言わないで、年中本気で書いてください。 にゃごさんの英語・アメリカ嫌い説の本当のところ、なるべく早く読ませて下さい。

光と影は一寸表現が可笑しいかもしれませんが、ナミヘイさんの存在があるからこそ、フネモドキさんが日の当たる場所で日向ぼっこが出来るんじゃないんですか。 どうも夫婦なんて長く連れ添えば添うほど、どっちが欠けても存在が怪しくなるような関係だと思う様になりました。
2008/4/4(金) 午前 9:11 ヤマザキ

お母さんが・・・グーで殴った心中が、ココロにチクチクした。。。
お腹を痛めた我が子の事を、大事に思わないハズはないもの。
でも言葉に出さないと届かない想いってあるんですよね。。。

私にもあったから。。。
テレパシーがあればいいのに・・・って思う事、多かったな。

産まれる側は、親も環境も選べない。
生命を得た瞬間から、土台は決まっているから・・・後は栄養をどう吸収し会得していくか・・・。

宿命ってあると思うんだ。
出逢った運命・・・きっと意味がある。

だから・・・今があるんだものね。

後悔をすることなく、全てをステップにして進むココロでありたいです。

にゃごさんの空気は・・・こういう根底があるからなんですね。。。

うん・・・やっぱり、にゃごさんは・・・スゴイや・・・(*^_^*)
2008/4/4(金) 午前 10:55 れお

ヒトリイナイホウガラクダ・・・胸がぎゅっとなりました。。。

罪だなんて・・・そんなことないと思います。
おばさんたちも、にゃごさんもお互いのコト考えない日なかったんじゃないかな~って・・・
今も昔も、にゃごさんは思いやりの輪の中にいます。
2008/4/4(金) 午後 0:07 アズキ

私は真ん中長男で、上下が姉、妹です。
正確に分析されそうですね。
2008/4/4(金) 午後 5:56 bdfk518

ヤマザキさん→母の好みで、村岡花子さんやいぬてとみこさん、矢川澄子さんなどの文を
幼少期に多く読んでいますので、平仮名と読点が多目の
一小節が長めの文を書くクセがついていまして…
だ・である調に直すのが、既に面倒でした(^m^)

いつでも本気で書けるようで、仕事で常に文を書いていると
本格的に「しっかり書く脳」にスイッチを入れるのには
強い外的要因がないとダメなんですよね~。
今回は、連続した青年による殺人と小石川の一家惨殺によって
家族とは、幸せとは…に向かって、脳がぎゅっと絞られた感じです。

今、殺人を犯してしまった彼らに近い立場にいる人が少なからずおり
「忘れてしまっている」「封印してしまっている」幸せな記憶によって
幸せに向かって生きるスイッチを入れて欲しいと切に願って、これを書きました。
そういった意味でも、もう少し、詳細が書きたかったのですが。
2008/4/4(金) 午後 9:06 [ N ]

ヤマザキさん→はい、英語の呪縛も、一日も早くに(^m^)

理論家のナミヘイと情緒的なフネモドキは、絶妙の間合いで空気を作りますね。
理論で足りないところは情緒で補い、情緒の矛盾を理論で補うような。
まさに、どちらが欠けても帯に短し襷に長しで、ぴったりの相方なのでしょう。
そして、本人たちはしっかり補完しあったつもりでも、微妙に現れる綻びを
姉弟で「もーっ」とぶーつか言いながら繕いあう…といったところで
とっぺんぱらりのぷぅ!でしょうか(^m^)
2008/4/4(金) 午後 9:13 [ N ]

れおさん→【テレパシーがあればいいのに・・・って】
母と息子、父と娘だと、ズレても確認しあうことも敢えてスルーすることもできるのに
微妙にずれるテレパシーには、どの母娘も困りますね(^m^)

この根底は、基本、白黒つけたがるクセに
一応なんでもウェルカムよ♪みたいな、全身のオーラになっている模様です(^m^)
絶対にダメというド真っ黒以外は「白として見てみよう」ふうな。
背負い込みやすいタチであり、背負い込むのは自らとわかっているから
へこたれることも困ることもないんですけど…時間は、圧倒的に足りないです。
普通はそこで休んだり趣味でリラックスしたりするんでしょうが
休む方が精神的に疲れるんですね(*m*)←バカ

母が幼少期に「躁じゃないか」と心配したのはこの欠片で。
でも、大人しくしてたら放っておかれるんですもん。
止まれない止まらない、マグロならぬカツオなのでした。
2008/4/4(金) 午後 9:21 [ N ]

アズキさん→ナミヘイが100万円通帳ごとあげちゃった翌年ですから…
トイレの紙も何センチ、牛乳はこのコップにここまで!なんてやって暮らしてた頃でした。
独りいない方がラクなのは、誰の目に見ても明らかでしたのヨ~。
この状況がわかってないのは、まだ小さかったタラオだけでした。

わたしが中学にあがる時、伯父さんが学生カバンをプレゼントしてくれようしたんだけど
母は頑として「いらない!」って~。いるっちゅの!(*m*)
一番年の近い従姉妹が高校を卒業するんで、カバンをお下がりしてくれるからって。
…それが…ありえないほどのヤンキーカバンでして…喧嘩用の鉄板入り、厚さ2cm(*O*)
お陰で「おいっ、後で裏へ来い!」とか言われるハメに…フネモドキめ。
行かないけどね。「用があるならテメーできてくださいヨ、先輩」

ハイ、「うちの子」は、強くないとやっていけないのデス。
2008/4/4(金) 午後 9:28 [ N ]

bdfkf518さん→おーっと、ジャム男さんですね♪
それは、誰にとっても、最も幸せをもたらす男ですヨ~!

姉と妹に挟まれ、女性に対する尊敬と慈しみを同時に身につけ
幼くして父性を獲得するのですヨ♪
チカラは正義に使って初めて意味のあるモノ、と根源的に知っており
リーダーシップはあるのに出しゃばらず、乞われると必ず助けに駆けつけ
頼りになり慕われること、この上ナシオです♪

…よって、慢性疲労にお気をつけくだされ。
みんなにとって、あなたはとても!必要なのですから。
2008/4/4(金) 午後 9:32 [ N ]

前に少し話してくれた育ての伯母夫婦さんですね。

事情があれ、同じ兄弟の中でにゃごさん一人が一時的に別々に暮らすということは、子供ながらに寂しい思いもあったことでしょう。。

でも伯母夫婦さんがにゃごさんを本当の子供のように可愛がり接してくれて、にゃごさんの心の隅にあるいろいろな悲しさをカバーしてくれた伯母夫婦さんの愛の力もすごいものだと思います。

にゃごさんの実父母さんも、伯母夫婦さんもにゃごさんをなくてはならない存在だったんですね。
そして同じくにゃごさんも・・・。

読んでいると自分と重なってしまい、あの頃を思い出しました。

実の母が私を引き取りたいと言った時の養父もにゃごさんのお父様と同じように私にこう言った。。

(○○○の好きなようにしなさい「後はお母さんと話し合いなさい」と言ってテレビをつけ、背を向けた。)

こうゆう時の男親ってどうして無言なの・・・
でしゃばんないんだろうって思ってた。。。
それがすごく寂しかったのを覚えてます。
2008/4/5(土) 午後 4:46 JEWEL

つづき~
にゃごさんのお母様も事情も事情だし、預けるだけならと・・・だけど養女となれば話は別ですよ!
その時のお母様の剣幕が目に浮かびます。
お姉さんや弟さんと同じようににゃごさんを愛して
いる!!そんな子をやれるかぁ~!!ですよ!!

子供って繊細なのに、鈍感で、そして単純で^^
そう言われて初めて親の気持ちに気づいたりして・・・言ってくんなきゃわかんないよ!!本当ですよね^^

一緒に暮らしていなくとも家族は家族であり、血の通いも関係なく、お互いの心が通い合ってれば絆は消えない!ですよね♪

形は違えど私も6人の親・・・正確には5人だけどね
そうだ!へこたれている暇はないさぁ~!!

あっひとつ質問
(あの日あの時にタラレバはない)
タラレバって何?!^^
2008/4/5(土) 午後 4:47 JEWEL

JEWELさん→そう、ちょっとだけ書いた、あのハナシですよ(^m^)

【こうゆう時の男親ってどうして無言なの・・・】
これは先日、テレビで解明されてましたよ。
女性は妊娠・出産によって、オキシトシンという物質が脳内に分泌されて
守り・慈しみ・育てるということに対するメンタルが強化されるんだそうです。
(オキシトシンが出ない人がネグレクトをしたりするそうです)
対して、男親にはこういう脳による「親化」というものがないので
大事だと思えばこそ「自主性に任せる」みたいになってしまうのは仕方ないとか。
なるほどね、と、またひとつ、なんか納得してしまいました。

伯母さんは子どもは生めなかったけど、流産・死産を繰り返して
生理が30であがってしまった人だったので
妊娠自体ができなかったわけじゃなかったのです。
なので、オキシトシンは正常に分泌されていたんでしょう。

…と、考えると
わたしってば、オキシトシン出てないのにまともなんじゃない?みたいな(^m^)
2008/4/7(月) 午後 0:22 [ N ]

JEWELさん→【言ってくんなきゃわかんないよ!!本当ですよね^^】
言い方をどうしようこうしようよりも、伝えることの重要さってあるかもしれないですね。
迷ったら「言葉が違うかもしれないけど」とか「言葉足らずでごめんね」ってつけてでも
言うべき!と思ったら伝えるべき…と、実体験からは思います。
多少のブレは、そこはまた、子どもって結構キャッチしてくれるものか、と(^m^)

■ タラレバ…とは ■
「もしあの時●●してい『たら』」「もしあの時●●してい『れば』」
と、後悔する時の言葉尻をとったもので「if」の世界を否定する言い回しです。

タラもレバもないのです。全ては必然で運命なのですサ♪
それをどう受け止めるて愉しく思うかがイキザマで、その連なりが人生なのですサ♪
2008/4/7(月) 午後 0:29 [ N ]





この一週間、我が家は大騒ぎでした。

校了追い込み真っ最中に伯母からかかってきた一本の電話…
「養女になってもらわないと困る事態が起こったの!
今すぐ養子縁組の手続きをして頂戴。お父さんには電話したから」

終わったはずの事件が、時を超えて繰り返される不思議。

磯野家五人+伯父伯母の七人が登場した、過去の記憶
2008/4/2(水) 午前 6:11の渾身の一本【マンナカジージョ】をまずはどうぞ。

今回の事件では、マスオ兄さんにタラオ二号にワカメにヒトシ…
登場人物が増えて、ふうぅぅぅぅぅぅぅぅ!でした。(あとで書きますネ)

生きるって愉しい。そして、不思議に満ちている!

2008.10.21



拍手[0回]

PR
≪HN≫
onamomi*
猫5匹・亀2匹・夫のヒトシ(仮名)と東京の空の下で生息中。絶滅危惧職種のアド編集のへっぽこ妻。本業は孝行娘( ´艸`)

にほんブログ村 介護ブログ 在宅介護へ

●別館的本館●おじゃもみ亭●

くも膜下から復活中の父ナミヘイの介護が生活の軸の今日この頃。あれができるようになった~こんな表情が戻ってきた~と、毎日バシバシ写真を撮る…ついでに、オカシナ写真を、こちらに。

         

HNのオナモミは、子どもの頃から好きなもののひとつ。投げて、くっつけて遊ぶ、愉しいあのイガイガ。だがしかし。名乗ってから知る☆花言葉。≪怠け・頑固・粗暴≫…ヒドイヮ!ぶほー!

◆登場人物1:わたしの家族◆
リアルサザエさん一家でゴザイマス。
男性はナミヘイ頭で「バカモン」と威張るのが得意。女性はみんな財布を忘れて本人だけが愉快じゃないタイプ~。
・わたし…オナモミ(カツオ☆ポジ)
・夫…ヒトシ
・わたしの父…ナミヘイ
・わたしの母…フネモドキ
・わたしの姉…サザエモドキ(隊長)
・わたしの弟…タラオ
・姉の旦那さま…マスオ兄さん
・姉の息子(甥)…タラオ2号
・姉の娘(姪)…ワカメ
・ピスたちお…うちの五匹の猫
 ピ…ピッ君(ぴ助:オス)
 ス…スミちゃん(寿実太:オス)
 た…たーまん(本名:メス)
 ち…ちっ君(ちぃ作:オス)
 お…おちゃびん(ライオっさん:オス)
・銭がめーズ
 ゼニオ君&デコたん

◆登場人物2:ヒトシの実家の人々◆
夫のヒトシは、植木等さんの暢気なサラリーマンと寅さんの中間みたいなヤツで…ぶほほ。婚家はまさに≪寅屋の面々≫…ぶほほ。うーんと面白いことダケ、たまに。
・夫の父…ヒトシずパパ
・夫の母…ヒトシずママ
・夫の妹…サクラさん
・妹の旦那さん…ヒロシさん
・妹夫婦の双子の息子…ミツオーず

         

◆わたしの本棚でご紹介した本たち

母が長いこと子ども向けの図書活動をしておりました。新しいものが届く度に夢中で読んだ、愛しい愛しい本たち。何度も何度も読み、大人になってから買い求めたもの・いただいたものなどを、思い出話の中で少しずつご紹介しています。いろいろな訳者や版で出ている本は「この版がイチオシ!」とわたしが愛したものをチョイス。雰囲気が微妙に、そして絶妙に違うのです。是非、まずは図書館で借りてみてくださいな。
シアワセな時間を、お約束します。

         



         

◆お世話さまです(*v.v)。template◆
★くろろさんのサイトへGO!!
≪CriCriさん≫
オナモミ、浮気をしない人( ´艸`) 時々CriCriさんの別作品でお着替え。アレンジしやすい素敵な仕様で、カスタマイズも愉しいのです( ´艸`)

◆お世話さまです(*v.v)。illustration◆
★もずねこさんのサイトへGO!!
≪もずねこさん≫
絵本のような優しい温もりとタッチにクラクラ☆どこか不条理な空気感もたまりません。カスタマイズに記事中に…モリモリ拝借中( ´艸`)
★バーナンの白黒さんのサイトへGO!!
≪バーナンの白黒さん≫
味のあるドコニモナイ絵。キリッと書けた時しか使いたくない素敵味。素材も素敵ですが、その他のページもとっても和めます。特に、蛇さんマークのところがとってもお気に入り( ´艸`)
★埼玉雲丹屋図案社さんのサイトへGO!!
≪埼玉雲丹屋図案社さん≫
ほのぼのなのにインパクト大!吃驚なバランス感覚がたまらない。いつもいい出汁、出ています。
★アーキミックスさんのサイトへGO!!
≪アーキミックスさん≫
組合せを考えるだけで愉しくなれる多彩な素材、豊富なバリエーション。みィんな素敵にアーキミックス風味。
★ふわふわ。りさんのサイトへGO!!
≪ふわふわ。りさん≫
ご存知、優しいタッチで大人気の老舗。背景拝借中♪
blogramこっそり会員( ´艸`)
忍者は静かなイイトコロ。そこがとってもスキナトコロ。だけど時々静かすぎるような気がして、こっそり参加。こっそり☆ず☆みーん、ランキングとかどうでもイイってこと( ´艸`) 自分がよく使う言葉が分析されて、オモシロイデス。

◆respect
★Real my 先生のサイトへGO!!
★Real my 師匠のサイトへGO!!


※スパム抑制の為トラックバックの設定を「不可」にしております。コメント欄にてお申し付けください。

でっきるっかな、でっきるっかな
はてはてほほー、はてふふー♪
よくワカリマセンが…
わたしは1.0が好き(そういう問題?)
わたしは見たことがないのです          携帯電話はもっぱら通話受信な生活
携帯で見ることを…全く…想定してなかったり…します…ゴメンナサ~~~イ( ´艸`)
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
(2008.6.21~)
Copyright©[オナモミ亭~猫柳一番地]    All Rights Reserved.

コメントを書く

NAME
TITLE
MAIL (非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS (コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます
 

追記として、ここに。

再掲するにあたってトップにつけた文字を、まずはお引越し~

**********

この一週間、我が家は大騒ぎでした。

校了追い込み真っ最中に伯母からかかってきた一本の電話…
「養女になってもらわないと困る事態が起こったの!
今すぐ養子縁組の手続きをして頂戴。お父さんには電話したから」
終わったはずの事件が、時を超えて繰り返される不思議。

磯野家五人+伯父伯母の七人が登場した、過去の記憶
2008/4/2(水) 午前 6:11の渾身の一本【マンナカジージョ】をまずはどうぞ。

今回の事件では、マスオ兄さんにタラオ二号にワカメにヒトシ…
登場人物が増えて、ふうぅぅぅぅぅぅぅぅ!でした。(あとで書きますネ)

生きるって愉しい。そして、不思議に満ちている!


2008.10.21

あとがき…でしょうか(笑)

<マンナカジージョ第三弾~ト書き/Entry/313/>
<マンナカジージョ第三弾~顛末記/Entry/314/>
<マンナカジージョ第三弾~最終章 /Entry/315/>
三本の『新たな本編』を書きました。
この中で、偶然ここに辿りついた方にお伝えしたいのは
「みんなちがって、みんないい」ということなんです。うふふ。

伯父や伯母の尺度では、お金のない我がイソノ家は不幸であり
一方でその平和な笑いが羨ましくもあり、理解もできない。
わたしたちイソノ家は、伯母さん夫婦を「寂しくないんだろうか」と思っていました。

根本的には「みんなちがって、みんないい」と思っているからこそ
お互いに、過去にそこを話し合ったことは一度もなくて。
老いを見据えた伯父と伯母が、プライドをかなぐり捨てた瞬間に
全員がお互いに、全てを見つめあうことになっただけの話。
そして、相容れないポイントをチェックしあっただけの話。

みんなちがって、みんないい。
全員にとっての「絶対」なんて、どこにも存在しません。

自分の家族を愛する時
家族を通して自分を見つめる時
他者への否定は、理屈にこそなれ本筋とはならない…
わたしはそう思います。

わたしが伯母さんを大好きなのは、一生変わることがありません。
ヘソが背中についていても、愛しい愛しい伯母です。
その伯母さんが、共にお墓に…と思う伯父さんは、
やっぱり大好きな伯父さんのままです。

いつも一緒にいたわけではない伯父さん。
わたしに見えてることなんて、きっと、ほんの一部だから。
  
Copyright ©  -- オナモミ亭 ~猫柳一番地~ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by PETIT SOZAI EMI / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]